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交流協会と台北駐日経済文化代表処の名称に関する質問主意書
衆議院 第181回 第1号仮定の質問 ×1
質問本文
政府は昭和四十七年九月二十九日、中華人民共和国政府との間で調印・公表したいわゆる「日中共同声明」と同時に、それまで中華民国と締結していた「日華平和条約」について、当時の大平正芳外務大臣が北京において「日中関係正常化の結果として、日華平和条約はその存在意義を失い、同条約は終了したと認められるというのが日本政府の見解である」と表明し、一方的に同条約の失効を宣言した。
しかし、政府は台湾と五十年もの歴史を共有していることなどに鑑み、その関係を「非政府間の実務関係」と位置づけ、実務レベルでの交流関係を維持するため、台湾在留邦人及び邦人旅行者の入域、滞在、子女教育並びに日台間の学術、文化交流等について各種の便宜を図ること、わが国と台湾との間の貿易、経済、技術交流等の諸関係を円滑に遂行すること等を目的として、外務省と通商産業省(現経済産業省)の所管する財団法人交流協会を昭和四十七年十二月八日に設立した。
オランダ大使やブラジル大使を歴任後、平成十七年から交流協会台北事務所代表を務めた池田維氏はその著書で、この民間機構の名称について、「当初『日華交流協会』という名称にしようとしたが、中国政府がこれに反対した」と指摘し、また「当時のことであるから『日台交流協会』という名称は北京ばかりでなく、台北の蒋介石政権にとっても受け入れがたいものだったにちがいない」とも述べ、名称が単なる「交流協会」に落ち着いた経緯について記している。
しかし、池田氏は交流協会台北事務所代表に赴任した当時、「交流協会」では地元のタクシーでさえ分からないということで、東京の交流協会本部と所管官庁の許可を取って「日本交流協会台北事務所」と呼称するようにした。
池田氏はまた同書で「より抜本的に、たとえば、『日台交流協会』という名称に変えようとすれば、定款を改正する必要がある。そうすれば、『日本は対台湾政策を変えようとしている』として……中国政府はほぼ間違いなく強く抗議してくるだろう」とも記している。
しかし、政府は台湾との間で、平成十七年九月から観光客に対するビザ免除を恒久化し、また平成十九年九月からは運転免許証の相互承認を行っているが、中国とは未だに行っていない。また法務省は今年の七月九日、これまでの外国人登録証明書を廃止し在留カードを交付するに際して「国籍・地域」欄を設け、台湾出身者は「中国」ではなく「台湾」と表記し、同時に総務省が所管して実施した外国人住民基本台帳でも、台湾出身者の「国籍・地域」は「台湾」と表記するようになっている。
一方、交流協会の台湾側カウンターは亜東関係協会であるが、日本の窓口機関として「台北駐日経済文化代表処」を設けている。二〇〇四年に代表として赴任してきた許世楷氏によれば、当時、台北駐日経済文化代表処の名称を「駐日台湾代表処」へ変更しようと政府に申し入れたところ一蹴されたという。
そこで、以下の通り質問する。
一 交流協会という名称では、どこと交流する法人なのか不明である。池田氏がすでに「日本交流協会台北事務所」という名称を用いてはいるものの、それでも日本と台湾の関係であることが不明瞭なので、関係が分かるよう「日台交流協会」と改めるべきと考える。政府の見解を示されたい。
二 台北駐日経済文化代表処の名称変更について、当時なぜこの名称を拒否したのか、その理由を示されたい。
三 台北駐日経済文化代表処の名称も、すでに「台湾」という名称が在留カードや外国人住民基本台帳で定着しているのであるから、「駐日台湾代表処」の方が分かりやすいと考えられる。台北駐日経済文化代表処から同様の申し入れがあった場合、政府はどう対応するのか見解を示されたい。
右質問する。
政府答弁書
一について
政府としては、公益財団法人交流協会は、我が国と台湾との間の実務関係を処理する我が国の民間団体として既に十分な実績を有しており、その名称についても広く知られていると考えている。また、現在、同協会として、名称を変更したいとの意向は有していないものと承知している。したがって、政府としては、同協会の名称を変更する必要性はないと認識している。
二について
現時点で確認できる範囲では、許世楷台北駐日経済文化代表処代表(当時)から日本政府に対して、台北駐日経済文化代表処の名称の変更に関する申入れが行われた事実はなく、日本政府として当該申入れを拒否した事実もない。
三について
仮定の質問にお答えすることは差し控えたい。
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件名と質問本文の冒頭の意味が近いものを、前もって計算しておいた表から近い順に8件並べました(multilingual-e5-large)。同じ言葉を使っていなくても出ます。論点が少しずれていることもあります。