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憲法解釈と国政選挙の関係に関する質問主意書
参議院 第187回 第103号
質問本文
一 安倍内閣はいわゆる近代立憲主義及び法の支配についてどのような考え方に立つか。具体的かつ詳細に示されたい。
二 安倍総理は平成二十六年二月十二日の衆議院予算委員会において、「先ほど来、法制局長官の答弁を求めていますが、最高の責任者は私です。私が責任者であって、政府の答弁に対しても私が責任を持って、その上において、私たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ。審判を受けるのは、法制局長官ではないんです、私なんですよ。だからこそ、私は今こうやって答弁をしているわけであります。」と答弁を行っている。
一般にある国の憲法が立憲主義並びに法の支配の原理に立脚する場合には、当該憲法秩序の下におけるある法令解釈の法理としての当否は国政選挙による国民の審判の結果によっても何ら影響を受けるものでないと考えられるが、この安倍総理の答弁は、「時の総理大臣が恣意的かつ意図的な憲法解釈の変更を強行しても、後の国政選挙で正当化されうる」という立憲主義及び法の支配に反する見解ではないのか。
三 前記二における安倍総理の答弁の趣旨は、安倍総理が平成二十六年七月一日に内閣として強行した集団的自衛権の行使を容認する憲法第九条の解釈変更の法理について、それがその後に実施される衆議院議員総選挙等の国政選挙の結果により、法的に正当化されうるものと考えているのか。
四 憲法解釈を始めとする法令解釈とは何か。仮に憲法に違反する法令解釈があった場合に(過去、内閣が国会に提出し成立した法律であって後に最高裁により違憲無効判決を受けたもの等は現に存在する)当該法令解釈の瑕疵が国政選挙の結果により治癒されるなど、ある法令解釈の法理としての当否が国政選挙により影響を受けることがあるのか。仮に、影響を受ける場合があるのであれば、そうした例について具体的かつ網羅的に示されたい。
右質問する。
政府答弁書
一について
憲法は、国家の統治の基本を定めた法であるところ、国の在り方や理想を示すものでもあると考えているが、立憲主義とは、主権者たる国民が、その意思に基づき、憲法において国家権力の行使の在り方について定め、これにより国民の基本的人権を保障するという近代憲法の基本となる考え方であり、法の支配とは、人権の保障と恣意的権力の抑制とを主旨として、全ての権力に対する法の優越を認める考え方であって、日本国憲法もこれらの立憲主義や法の支配と同様の考え方に立って制定されたものと考えている。
二から四までについて
一般論として、憲法を始めとする法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであり、政府による憲法の解釈は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものであって、諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請を考慮すべきことは当然であるとしても、なお、前記のような考え方を離れて政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではないと考えている。仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられる。このようなことを前提に検討を行った結果、従前の解釈を変更することが至当であるとの結論が得られた場合には、これを変更することがおよそ許されないというものではないと考えられるが、いずれにせよ、その当否については、個別的、具体的に検討されるべきものである。
いずれにせよ、法令の解釈は、論理的になされるべきものであり、論理を離れて、「国政選挙の結果」によって左右されるというものではない。
また、御指摘の平成二十六年二月十二日の衆議院予算委員会における安倍内閣総理大臣の答弁は、行政府としての憲法解釈については、これに最終的に責任を負う内閣を代表して、内閣総理大臣が責任を持って答弁している旨を説明したものであり、「「時の総理大臣が恣意的かつ意図的な憲法解釈の変更を強行しても、後の国政選挙で正当化されうる」という立憲主義及び法の支配に反する見解」との御指摘は当たらない。
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件名と質問本文の冒頭の意味が近いものを、前もって計算しておいた表から近い順に8件並べました(multilingual-e5-large)。同じ言葉を使っていなくても出ます。論点が少しずれていることもあります。