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北海道拓殖銀行の樺太引揚げ預金者に対する預金払戻し回避に関する質問主意書

参議院 第38回 第1号

提出者
参議院
提出日
1961年5月18日
内閣転送 1961年5月20日
答弁書受領日
1961年6月8日
提出から21日
答弁の項目数
0
質問 1,252字/答弁 2,189字

質問本文

昭和二十年八月十五日の終戦以来、樺太在住者の引き揚げが行なわれたが、この際北海道拓殖銀行在樺太各支店等に預金していた引揚者が、本邦内の同行本、支店において預金の払い戻しを請求したが、同行は正当な理由もないのに、これを回避若しくは拒否して引き揚げ預金者の生活を極度に困窮化せしめていることは銀行経営及び金融政策上極めて遺憾である。

一、終戦直後連合国最高司令官より北海道拓殖銀行は在外資産閉鎖機関として指定されていなかつたのであるから、預金の払い戻しには応じなければならないのであつて、これの回避や拒否を講ずることは不当であり、社会正義に反するものである。

二、北海道拓殖銀行は本件について、昭和二十年九月二十七日付蔵外為第一五一号大蔵省外資局長名による外国為替取引停止に関する通牒に基づき、昭和二十年十月二日以後正当性をもつとしているが、本通牒は外国為替業務について、その時の事情からして不安であるから一応予測により通牒したものと思われるが、閉鎖機関でない北海道拓殖銀行と樺太からの一般引揚げ預金者との関係は、外国為替業務に準ずるものとは解釈されないのである。

三、前記通牒は本件に適用解釈されないものであるが、北海道拓殖銀行がその間一時的に誤解釈をしたにしても、この通牒には、さしあたり一千円の範囲内で支払うことを認めているが、これすらの払い戻しをも回避あるいは拒否をしたことは引揚者のため極めて遺憾であり、善良なる債務管理とは微塵をも認められないのである。

四、また、かりに昭和二十年十月二日以後それが正当性をもつとしても、終戦直後よりその間の払い戻し請求には応じなければならなかつたはずであるが、これにも応じてはいない。従つて前記同様善良なる債務管理に反するばかりでなく、自己の利益のため債権者の犠牲を強要したとすら解釈されるのである。本件の如き場合の資産閉鎖が合法的と見られるのは、昭和二十一年八月十五日公布法律第六号金融機関経理応急措置法による新、旧勘定の設定に伴う以外はないはずである。

五、本件に関連して去る三月二十七日の参議院予算委員会第四分科会の席上、本議員が大蔵省銀行局長石野信一君に質したところ、昭和二十年七月末日における北海道拓殖銀行の預金債務は約二億一千七百二十九万円で、昭和二十九年以後の支払額が二億六百五十三万円との説明があつた。しかるにこの支払額については、北海道拓殖銀行が特定の団体、会社、個人等に対し、不当な金品の贈与をなしているとの疑いが持たれ、経理の公開を要求する声が近時とみに増大して来ているが、監督官庁等をして精密なる検査を行なわしめ、結果を公表すべきである。

以上を総じて北海道拓殖銀行は、銀行法第二十三条に違反の疑いがあると思われるので右の諸点につき十分調査の上回答されたい。

〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1

電話:03-3581-3111(大代表)

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参議院の原文・経過

政府答弁書

一、北海道拓殖銀行は、閉鎖機関に指定されなかつたにもかかわらず、樺太預金の払戻しを停止した事実があるが、これは、次のように適法な法的措置又は行政掛置に基づいて行なわれたものである。終戦後、金融機関の在外預金については応急的な措置により支払が行なわれたのであるが、その後状勢の推移により、樺太引揚者のみならず台湾、朝鮮等からの引揚者についても一時その支払を停止し、金融秩序の維持に資せしめたものである。しかしながら、その後にいたつて、在外預金の支払制限が緩和され、現在においては、樺太引揚げ預金者については一般預金者と同様の状態に復せしめているのであつて、なんら不当な措置がとられたものではない。

(1)戦時非常金融対策の一環として昭和十九年六月に実施されたいわゆる預金等の便宜代払制度は、順次取扱範囲が拡充され、終戦後においては、海外からの引揚邦人の外地預金について本制度による支払が認められることとなつた。

樺太引揚者についても昭和二十年八月二十日から本制度が適用され、北海道拓殖銀行の樺太における預金について、引揚者は、内地所在の最寄金融機関から預金の便宜代払を受けられることとなつた。

(2)昭和二十年九月二十二日付で、連合国最高司令部から「金融取引ノ統制ニ関スル件」の覚書が出され、外国為替等の広範な金融取引の禁止措置が指令された。このような情勢に対処して同年九月二十七日付で、大蔵省外資局長から外国為替その他これに準ずる取引は停止すること。ただし、一般引揚邦人についてはさし当り一、〇〇〇円の範囲内で支払ができる旨の通牒が出され、この通牒に基づき、樺太預金についてもその支払が行なわれた。

(3)昭和二十年九月三十日付で、連合国最高司令部から「外地銀行、外国銀行及ビ特別戦時機関ノ閉鎖ニ関スル件」の覚書が出された。これに基づいて朝鮮、台湾等の外地銀行等が閉鎖されると同時に、これと併行して外地関係の預金の支払が停止されることとなり、十月一日に日本銀行を通じて外地預金の支払猶予方を関係銀行に通牒した。北海道拓殖銀行においても十月二日にこの旨の通牒をうけ、さきに一、〇〇〇円の範囲内で支払うことができた樺太預金についても、全面的に支払が停止された。

(4)昭和二十年十月十五日「金、銀、有価証券等の輸出入等ニ関スル金融取引ニ関スル省令」(大蔵省令第八十八号)等が公布施行され上記(3)の行政措置により停止されていた引揚者に対する外地預金の支払は、この法的措置によつて禁止されることとなつた。

(5)昭和二十五年一月二十五日に、大蔵省令第八十八号による外地預金の支払制限が北海道拓殖銀行について一時免除され、同行の樺太預金の支払が行なわれたが、同年六月三十日に、この免除措置は廃止された。

(6)昭和二十九年五月の金融機関再建整備法の一部改正により在外債務の支払措置が講ぜられ、樺太預金についても支払が再び開始された。昭和三十一年六月末で本措置による支払は一応完了したが、その後においても樺太預金者については、一般預金者と同様に、その申出により随時預金の支払を行なつてきている。

二、北海道拓殖銀行の樺太引揚げ預金者に対する支払の経緯は、上記のとおりであつて、個別事項については次のとおりである。

(1) 第一の点については、北海道拓殖銀行は閉鎖機関に指定されなかつたので、閉鎖機関に対する措置によつて預金の支払に応じなかつたのではなく、一、の(3)及び(4)に述べたように行政措置及び法的措置によつて一定の期間樺太預金の支払を停止したものであつて、同行が不当に預金の払戻しに応じなかつたものではない。

(2) 第二の点であるが、昭和二十年九月二十七日付大蔵省外資局長の通牒においては、閉鎖機関であると否とを問わず、一般的に外国為替取引その他これに準ずる取引を停止したものであつて、北海道拓殖銀行が閉鎖機関でないとの理由でその適用を除外される趣旨のものではない。

(3) 第三の点については一、の1、(2)及び(3)に述べたように昭和二十年八月二十日から同年十月二日までの間において北海道拓殖銀行は樺太預金の支払が認められ、支払を行なつたものであつて、善良なる管理者の注意に反したものではない。

(4) 第四の点である終戦後から樺太預金の支払を行なつていないのではないかとのことについては、一、の(1)、(2)及び(3)に述べたように、北海道拓殖銀行においては、昭和二十年八月二十日から同年十月二日までの間は樺太預金の支払を行なつている。次に、適法に支払停止措置をとることができたのは金融機関経理応急措置法の公布の日(昭和二十一年八月十五日)以後ではないかとの御質問であるが、一、の(3)に述べたように、昭和二十年十月二日に行政措置により樺太預金の支払が停止されており、従つて、金融機関経理応急措置法の公布の日以前に支払についての停止措置がとられたものである。

(5) 第五の点であるが、昭和二十年七月末における北海道拓殖銀行の樺太関係の預金債務は二一七、二九四千円であつたが、上記のような経緯をたどり、昭和三十六年四月二十五日までに二〇六、八七三千円の支払を行なつている。この支払額については、その全額が同行の樺太預金の支払であつて、御質問のような支出は含まれていない。

参議院の原文

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