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中華人民共和国に対する政府開発援助に関する質問主意書
衆議院 第142回 第39号
質問本文
中華人民共和国に対する政府開発援助の決定過程に疑念が指摘されている。政府開発援助は、我が国の国益にかかわる重大な問題であり、その決定過程に疑念があることは、看過できない。
したがって、次の事項について質問する。
一
1 中華人民共和国の白求恩医科大学に関係する政府開発援助について、その決定及び実施の時期、金額、内容について答えよ。
2 当該援助を行うか否かについて、職務権限を有していたのは誰か。実際の決定は、いつ誰が行ったか。
3 当該援助について、最初に要請があったのは、いつ、誰からか。
4 当該援助について、日中間でなされた要請、交渉及び調査について、誰が、いつ、どのような要請、交渉又は調査を行ったのか、すべて答えよ。
5 当該援助に関して、一九八九年十二月の事前調査団、一九九〇年四月の基本設計調査団、同年八月のドラフトレポート説明のいずれにおいても、中国側面談者の中に、李維平氏の名前が見られる。いずれの団も、数日間にわたって中国に滞在しており、どの日にどの場所で誰と面談をしたのか、中国側は李氏のほかは誰が同席していたか、具体的に明らかにせよ。
二
1 白求恩医科大学付属病院についての政府開発援助に関して、一九九〇年四月に派遣された「基本設計調査団」が面談した李維平氏は、調査団報告書によると「衛生部外事司官員」との肩書きである。日本政府として、中華人民共和国における当該地位について、どのような職務を行うどのような立場であると認識しているか。
2 同調査に際して、通訳は誰が行っていたのか答えよ。
三
1 同年八月にドラフトレポート説明のために調査団が訪中した件について、調査団報告書によると李維平氏の肩書きは「中華人民共和国衛生部」となっている。日本政府として、中華人民共和国における当該地位について、どのような職務を行うどのような立場であると認識しているか。
2 同説明に際して、通訳は誰が行っていたのか答えよ。
3 このドラフトレポート説明は、援助決定に至る経緯の中でどのような意味を持っているのか。
4 ドラフトレポートの説明は、国際協力事業団作成の基本設計調査報告書九七ページに記載された中国側協議参加者名簿に記載された者に対してのみ行われたのか。当該名簿に記載された者以外の中国衛生部の担当官に対して、説明をしていないか。
四 当該援助について、大蔵大臣当時の橋本総理が、事務当局者に予算の査定、増額等に関する指示を行ったことはあるか。あるとすれば、時期、内容を答えよ。
五
1 一九八九年のいわゆる天安門事件を受けて対中国円借款が凍結された件について、凍結解除の決定は、いつ、誰が行ったか。
2 この凍結解除について、大蔵大臣に職務権限はあるか。
3 当該円借款凍結解除に関し、大蔵大臣当時の橋本総理が、中国政府関係者から公式・非公式に要請を受けたことはあるか。あるとすれば、時期と相手をすべて答えよ。
4 当該円借款凍結解除に関し、大蔵大臣当時の橋本総理が、総理や外務大臣との折衝、閣議、閣僚懇談会、国際会議等での発言、事務当局への検討の指示などを行ったことはあるか。行ったとすれば、時期、内容を答えよ。
六
1 橋本総理が、一九九一年一月に大蔵大臣として中国を訪問した際の目的、同行者及び日程を答えよ。
2 右の訪中の際に、日本から通訳は同行しているか。しているとすれば何人か。また、現地在外公館から加わった通訳がいれば、その人数は何人か。
3 右訪中の際に、橋本大蔵大臣は、李維平氏と会っているか。いるとすれば、会った日時、場所、目的、内容について答えよ。
4 右訪中の際の各会議について、誰が通訳を行っていたのか。会議毎に具体的に答えよ。
七
1 前項の訪中のほか、橋本総理が、総理就任前を含め、日本国政府における公的地位にあった期間について、中華人民共和国またはネパールを公式訪問したことはあるか。ある場合には、その目的、同行者、日程を答えよ。
2 右の訪問の際に、橋本総理が李維平氏と会ったことがあれば、その日時、場所、目的、内容について答えよ。
3 橋本総理が、右の場合以外で、中華人民共和国またはネパールを訪問し、現地日本国の在外公館が、いわゆる便宜供与を行ったことがあるか。ある場合には、その具体的内容、特に、通訳についての便宜供与の有無についてを含めて答えよ。
4 右の訪問の際に、橋本総理が李維平氏と会ったことがあれば、その日時、場所、目的、内容について答えよ。
八
1 一九八八年八月に自民党幹事長代理であった橋本総理が、白求恩医科大学付属病院を訪問している。これは、援助にかかわる中国側からの要請又は日本政府の判断が働いていたのか。それとも、橋本氏らが日本政府とは無関係に訪問したのか。関係があるとすれば、その具体的内容も含めて答えよ。
2 右の訪中の際、現地駐在の在外公館は、いわゆる便宜供与を行っているか。特に、在外公館職員を通訳として同行させなかったか。
3 右の便宜供与を行っていた場合、日本政府として、その日程、中国側の誰と面談をしたかなどを把握しているか。
4 右を把握しているとすれば、李維平氏と会っているか。会っている場合には、その日時、場所、目的、内容について答えよ。
九 日本の国務大臣又は国務大臣の経験のある国会議員が、中華人民共和国を公用旅券で訪問した際に、日本政府関係者(在外公館職員を含む)が通訳を務めなかった場合があるか。ある場合には、そのすべてのケースの具体的内容及び理由を答えよ。
十
1 一九九二年に、中国の雑技団のビザ申請を拒否した事実はあるか。あるとすれば、申請者、申請内容、申請日、却下の日及びその理由について答えよ。
2 一九八五年以降、これ以外に中国からの雑技団のビザ申請がなされたことがあれば、その件数と、却下された件数を答えよ。
十一
1 李維平氏が在日中国大使館員であった期間は、いつからいつまでか。
2 同氏のその間の地位について、日本政府としてどのように把握していたか答えよ。
3 同氏が在日中国大使館員となった以降について、日本への入国の時期、目的、資格及び出国時期と出国先について答えよ。
4 警視庁公安部外事二課が、李維平氏に関して調査を行ったことがあるとの報道がなされているが、事実か。事実とすれば、その調査の内容及び結果如何。
5 李維平氏は、その後、日本国籍を取得したとの情報があるが、事実か。事実とすれば、その申請日、申請内容、及び国籍取得日如何。
6 最近五年間で、李氏と同じ事由で帰化が認められたケースについて、もっとも短期間の場合どのくらいの期間がかかっているか。また、平均の期間はどれくらいか。
十二
1 橋本総理は、李維平氏を通訳であると認識していた旨、答弁しているが、橋本氏が日本政府の公的地位にあった間について、公式の場においてそのようなことがあったか。あったとすれば、どのような機会に、誰の通訳を行ったのか。
2 日本の国務大臣の公式の場における通訳を、相手国側の者が行うことがあるか。
十三
1 橋本総理は、昨年十月三十日の衆議院予算委員会答弁において、李維平氏との対話の内容を問われた際、「白求恩医科大学の日本語教育の問題あるいは中国医科大学の日本語教育の問題が衛生部との間で議論になっておった」と答えているが、いつごろ、衛生部の誰との間で議論になっていたのか。
2 また、具体的にはどのようなことが議論になっていたのか。
右質問する。
政府答弁書
一の1及び3について
中華人民共和国(以下「中国」という。)のべチューン医科大学に対する無償資金協力であるベチューン医科大学機材整備計画については、平成元年(千九百八十九年)十月に中国対外経済貿易部(現在の対外貿易経済合作部)からの我が国政府に対する正式な要請を受け、その後、十分な検討、調査を行い、案件の妥当性を確認した上で、政府部内での協議を経て、平成二年(千九百九十年)十一月、二十六億円を限度とする額の贈与を行う旨等を内容とする本件無償資金協力に係る取極を中国政府と締結することにつき閣議決定し、同月、中国政府との間で交換公文に署名することにより、本件を実施するに至った。
一の2について
無償資金協力については、「外交政策上の経済協力に関すること」(外務省設置法(昭和二十四年法律第二百八十三号)第四条第三十一号)を所掌事務とする外務省が所掌しており、御指摘の無償資金協力についても同様である。
御指摘の無償資金協力については、外務省の指示に基づき、国際協力事業団による基本設計調査が実施され、外務省は、同調査による基本設計を妥当と判断し、平成二年(千九百九十年)十一月、外務大臣から、同基本設計に基づく無償資金協力に係る取極の締結に関する閣議請議が行われ、内閣として閣議決定を行った。
一の4について
中国側からの正式な要請を受け、国際協力事業団が、外務省の指示に基づき、平成元年(千九百八十九年)十二月に事前調査団を、平成二年(千九百九十年)四月に基本設計調査団を、同年八月に基本設計概要説明調査団を、それぞれ中国に派遣し、必要な協議及び調査を行った。
一の5について
各調査団の日程及び面談者については、別添資料の国際協力事業団の事前調査報告書及び基本設計調査報告書の各関連部分のとおりである。
二の1について
行政組織に関する中国の資料によれば、衛生部は国務院において医療及び衛生に関連する業務を担当しており、また、外事司は、国際交流及び協力の事務を所掌する部局である。
二の2について
国際協力事業団の基本設計調査報告書にある中国側協議参加者名簿においては、衛生部の一名及びベチューン医科大学の四名の計五名が通訳とされている。
三の1について
行政組織に関する中国の資料によれば、衛生部は国務院において医療及び衛生に関連する業務を担当している。
三の2について
国際協力事業団の基本設計調査報告書にある中国側協議参加者名簿においては、ベチューン医科大学の二名が通訳とされている。
三の3について
御指摘の基本設計概要説明は、中国側関係機関に対し、基本設計調査の結果を踏まえて国際協力事業団が作成した計画案の概要を説明し、中国側関係機関との間で同案の内容について基本的な合意を得るために行われた。
右計画案は、中国側関係機関との間で基本的な合意に達した後、基本設計調査報告書として取りまとめられ、我が国政府は、同報告書を基に援助の内容及び供与限度額を決定した。
三の4について
基本設計概要説明調査団による基本設計概要説明は、国際協力事業団の基本設計調査報告書にある中国側協議参加者名簿に記載されている者に対して行われた。なお、必要に応じ、大使館員等が相手国の関係機関に説明することもあるが、本件については確認できない。
四について
御指摘のような事実はない。
五の1について
平成元年(千九百八十九年)六月のいわゆる天安門事件後、中国情勢の流動化、渡航自粛勧告等により、円借款を含む協力案件の多くは事実上の中断状況に置かれた。
その後、平成二年(千九百九十年)一月に戒厳令が解除され、中国情勢の安定化が見られるとともに、同月十六日に来日した鄒家華国務委員が、当時の海部内閣総理大臣ほか我が国要人に対し第三次円借款を進めるよう要請し、同月十八日には、平成二年度(千九百九十年度)の新規の案件に関する意見交換を行うべく、外務省の経済協力局長が中国に派遣された。また、中国側が改革、開放政策を継続する姿勢を示し、経済面において、対外関係の改善のための努力を示す動きを見せたことにかんがみ、経済企画庁、外務省、大蔵省及び通商産業省の四省庁が協議の上、同年七月のヒューストン・サミットの際に、海部内閣総理大臣から、第三次円借款を徐々に進めていくとの考え方を表明し、サミット参加国の理解を得た。こうした経緯を経て、同年七月三十日から八月一日までの間、中国に政府調査団を派遣した上、同年十一月に第三次円借款の初年度である平成二年度(千九百九十年度)第一回分の供与に係る取極を中国政府と締結することにつき閣議決定した。また、海部内閣総理大臣は、平成三年(千九百九十一年)八月の訪中の際に、中国の改革、開放政策に基づく近代化努力に対しできる限りの協力を行うとの方針が不変であることを表明した。
五の2について
御指摘の中国に対する円借款については、経済企画庁、外務省、大蔵省及び通商産業省の四省庁による協議を経て、平成二年(千九百九十年)十一月にその取極を中国政府と締結することにつき閣議決定がなされている。これに関する大蔵省の所掌事務としては、大蔵省設置法(昭和二十四年法律第百四十四号)第四条第百十八号に「本邦からの海外投融資に関する事務を管理すること」と定められているところ、大蔵大臣は、国家行政組織法(昭和二十三年法律第百二十号)上、大蔵省設置法に定められている同省の所掌事務について、主任の大臣として、その事務を統括する等の権限を有している。
五の3について
円借款の正式要請については、途上国政府から外交ルートを通じて在外公館等我が国政府に対して公式文書をもって行われることとされており、大蔵大臣が中国政府から正式要請を受ける立場にはない。
なお、御指摘の円借款に関する中国政府関係者から当時の橋本大蔵大臣に対する非公式要請は、次のとおりである。
(一) 第二十三回アジア開発銀行年次総会時の平成二年(千九百九十年)五月三日において、橋本大蔵大臣は、李貴鮮中国人民銀行行長から、国際復興開発銀行及びアジア開発銀行の対中融資再開並びに第三次円借款の開始について日本の理解を求める旨の要請を受けている。
(ニ) 第四十五回国際通貨基金、国際復興開発銀行年次総会時の平成二年(千九百九十年)九月二十五日において、橋本大蔵大臣は、王丙乾財政部長から、いわゆる天安門事件以来の厳しい環境の中で第三次円借款についての弾力的な対応を求める旨の要請を受けている。
五の4について
橋本大蔵大臣は、平成二年(千九百九十年)五月三日、ニュー・デリーにおける第二十三回アジア開発銀行年次総会での総務演説において、「なお、我々の友人である中国と先進諸国との経済協力関係が、現在、かつての関係と若干様相を異にしているのは残念なことであります。我が国としては、アジアに位置し、中国と長い交流の歴史を持つという立場を踏まえ、中国と各国及び国際機関との関係が双方の努力により速やかに旧に復することを強く希望しております。」と発言している。
なお、御指摘の円借款について、橋本大蔵大臣が内閣総理大臣若しくは外務大臣との協議又は閣議若しくは閣僚懇談会において発言したという記録や橋本大蔵大臣が事務当局へ検討を指示したという記録は見当たらない。
六の1について
橋本大蔵大臣は、平成三年(千九百九十一年)一月八日から十一日までの間、中国の改革、開放政策及び日中二国間の経済、金融協力を始めとする協調関係の強化等についての意見交換を行うため、中国を訪問している。随行者は、千野忠男大蔵省国際金融局長等であり、日程については、一月九日に王丙乾財政部長、李鵬国務院総理及び李貴鮮中国人民銀行行長と会談し、翌十日に陳敏章衛生部長、李鉄映国家教育委員会主任及び鄒家華国家計画委員会主任と会談した。
六の2から4までについて
我が国からの通訳者の同行はなく、在中国日本国大使館員が橋本大蔵大臣の通訳を務めたが、人数については確認できない。
なお、橋本内閣総理大臣においては、幾つかの会談で李維平氏が中国側の通訳を行っていた記憶があるとのことである。
七の1について
中国に関しては、厚生大臣であった当時、昭和五十四年(千九百七十九年)七月二日から四日までの間、阿波丸遺骨受領訪中団の団長として中国を訪問している。随行者は、厚生省から河野義男厚生省援護局長等及び阿波丸遺族代表であり、陳慕華国務院副総理、黄華外交部長、銭信忠衛生部長及び曽生交通部長と会談した。
また、昭和六十二年(千九百八十七年)六月二十六日から二十八日までの間、第五回日中閣僚会議出席のため、運輸大臣として中国を訪問している。随行者は、中村徹運輸省国際運輸・観光局次長等であり、日中閣僚会議の全体会議出席のほか、銭永昌交通部長、尚志功鉄道部副部長及び韓克華国家旅游局長と会談した。
平成九年(千九百九十七年)九月四日から七日までの間、内閣総理大臣として中国を訪問している。随行者は、与謝野馨内閣官房副長官、平林博内閣外政審議室長、丹波實外務審議官及び外務省、農林水産省、通商産業省の担当局長等である。江沢民国家主席、李鵬国務院総理、喬石全国人民代表大会常務委員長、朱鎔基国務院副総理と会談し、その後、藩陽及び大連を訪問している。
ネパール王国に関しては、昭和六十二年(千九百八十七年)六月二十三日から二十四日までの間、日本、ネパール航空、観光協議のため、運輸大臣として同国を訪問している。随行者は、寺嶋潔運輸省大臣官房審議官等であり、ビレンドラ国王及びシュレスタ首相と会談した。
また、平成三年(千九百九十一年)七月十九日から二十二日までの間、財政金融事情調査のため、大蔵大臣として同国を訪問している。随行者は、内海孚大蔵省財務官等であり、ビレンドラ国王及びコイララ首相と会談した。
七の2について
橋本内閣総理大臣においては、七の1についてで述べた訪問の際に、李維平氏が会談等に同席していた記憶はないとのことである。
七の3及び4について
外務省の文書管理規定に従って、便宜供与に係る文書については、原則として一年保存、最長でも五年保存となっている。七の1についてで述べた訪問以外に、橋本内閣総理大臣が中国又はネパール王国を訪問し、現地の在外公館が便宜供与を行ったか否かを含めて事実関係は確認できない。
橋本内閣総理大臣の記憶によれば、昭和六十三年(千九百八十八年)八月に中国を訪問しているとのことである。
橋本内閣総理大臣においては、右訪中の際に李維平氏が通訳を務めた記憶があるとのことである。
八の1について
橋本内閣総理大臣の記憶によれば、昭和六十三年(千九百八十八年)八月の訪中は、中国衛生部の招待であったのではないかとのことである。
八の2及び3について
外務省の文書管理規定に従って、便宜供与に係る文書については、原則として一年保存、最長でも五年保存となっており、本件については、既に記録は廃棄されている。したがって、在外公館職員が通訳として同行したか否かを含めて事実関係は確認できない。
八の4について
八の2及び3についてで述べたとおり、御指摘の件について事実関係を確認できないが、橋本内閣総理大臣の記憶によれば、七の3及び4についてで述べたとおりである。
九について
我が国の在外公館の職員を始めとする政府職員が通訳を務めるか否かは、我が国からの訪問者が会談又は協議を行う相手、その会談又は協議の内容等による。
なお、一般に、国務大臣については、必要に応じ日本政府関係者が通訳に当たる。また、国務大臣経験者である国会議員の中国訪問においては、会談又は協議を行う相手、その会談又は協議の内容等により、日本政府関係者が通訳を務めないこともある。
十の1について
平成四年(千九百九十二年)の査証発給及び拒否に関する記録としては、査証発給台帳のみが保管されているが、同台帳では、職業について詳細な記載はなく、雑技団による申請事実及び拒否事実については不明である。
十の2について
十の1についてで述べたのと同様の理由により、昭和六十年(千九百八十五年)以降についても雑技団の申請件数及び拒否件数は不明である。
十一の1について
李維平氏が、在日中国大使館員として接受されていたのは、昭和六十年(千九百八十五年)六月二十二日から昭和六十二年(千九百八十七年)十月十七日までであった。
十一の2について
在日中国大使館からの口上書による通報に基づき、文化担当のアタッシェの地位にあったと承知していた。
十一の3について
出入(帰)国記録は、プライバシー等の問題もあって、非公開を原則としているので、答弁を差し控えたい。
十一の4について
御指摘のような調査を行った事実はない。
十一の5について
李維平氏は、日本国籍を取得している。申請日は、平成八年(千九百九十六年)一月十九日、申請内容は国籍法(昭和二十五年法律第百四十七号)第五条、第七条後段に基づく帰化、国籍取得日(帰化許可日)は、同年十二月十六日である。
十一の6について
李氏と同じように日本人と婚姻した外国人の帰化のケースに要した期間についての統計はない。帰化についての全体の平均の期間は、およそ一年程度である。
十二の1について
橋本内閣総理大臣の記憶によれば、六の2から4までについて並びに七の3及び4についてで述べたとおりである。
十二の2について
御指摘の通訳の件については、相手国側の者が行う例もある。
十三について
橋本内閣総理大臣の記憶によれば、「日中友好病院が、多分、工事を行い始めたころでありますから五十六年のどの時点かから出ていたと記憶をいたします。すなわち、病院の建物だけができましても、そして、日中友好病院自体は中国の伝統医学と日本から移しかえようとする西洋医学とのその組み合わせの中で一つのきちんとした姿を模索するという考えを我々は持っておりましたから、中国側にこれを受けて支える仕組みが欲しいという考え方は当時から関係者の中にあったところであります。(中略)そうした中で、本当にちょっと医学が進めば助けられる人は、あるいは乳幼児の死亡率が、少しでもこれは治したいというのは、当時関係する者皆の夢でありました。そして、日本語で医学教育を行っているということからベチューン医科大学の名前は出てまいりました。今申し上げたように、たしか五十六年のいつごろからかであったと思います。そして私は、それは大事な仕事だと思っておりましたから、当時から、こういうプロジェクトを進めることが大事だということはあちこちに対して一生懸命に説明をして歩きました。」(平成十年(千九百九十八年)五月二十五日参議院行財政改革・税制等に関する特別委員会における橋本内閣総理大臣答弁)とのことである。
別添資料
ベチューン医科大学機材整備計画に関する事前調査報告書及び基本設計調査報告書の関連部分
(目次)
一 事前調査報告書(平成二年(千九百九十年)二月、国際協力事業団刊行)における関連部分
1 調査団の構成と日程(事前調査報告書二頁及び同三頁)
2 面会者一覧表(事前調査報告書四頁及び五頁)
二 基本設計調査報告書(平成二年(千九百九十年)八月、国際協力事業団刊行)における関連部分
1 調査団の構成(基本設計調査報告書九十三頁)
2 調査日程(基本設計調査報告書九十四頁及び九十五頁)
3 面談者リスト(基本設計調査報告書九十六頁及び九十七頁)
一.事前調査報告書(平成2年2月、国際協力事業団刊行)における関連部分
1.調査団の構成と日程(報告書2〜3頁)
調査団構成
・団長
北川 定謙
(厚生省病院管理研究所長)
・病院計画
鈴木 幸雄
(厚生省保健医療局国立療養所課 課長補佐)
・医療機材計画
大場 正巳
(北里大学教授)
・無償資金協力
下田 五郎
(外務省無償資金協力課 課長補佐)
・通訳
高良 さとみ
(国際協力サービスセンター)
調 査 日 程 表
2.面会者一覧表(報告書4〜5頁)
二.基本設計調査報告書(平成2年8月、国際協力事業団刊行)における関連部分
1.調査団の構成(報告書93頁)
2.調査日程(報告書94〜95頁)
3.面談者リスト(報告書96〜97頁)
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