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仙台市の都市復興計画に関する質問主意書

衆議院 第2回 第11号

提出者
衆議院
提出日
1948年5月27日
内閣転送 1948年6月19日
答弁書受領日
1948年6月25日
提出から29日
答弁の項目数
0
質問 738字/答弁 643字

質問本文

仙臺市の都市復興計画に関する質問主意書

仙臺市の都市計画は、宮城縣都市計画委員会の満場一致による答申書に基き、政府は民主的に民意を尊重され、昭和二十一年十一月十一日附内閣戰災復興院告示(第二四四号)を以て該都市計画書を公許告示されたのである。

よつて仙臺市は該告示を仙臺市民に周知徹底させ、同時に該告示による戰災都市としての新仙臺都市計画にすでに着手したのである。

然るに東北本線仙臺駅前、川内線(幹線道路)に対してすでにこの路線は告示により決定し、人家も続々と許可をえて合法的に建築済となつているにかかわらず、突如として該既定路線を仙臺駅が、現場より北方へ五十米程移轉するからとの理由で、直線変更派という運動が猛烈に開始され、告示原案派との間に建設院を回つて両派の運動が熾烈化したので、本年四月十五日仙臺市長は建設院都市局長より宮城縣知事宛の公文(原案通りの指示)に接したにかかわらず、同月二十三日、一松総裁の名で、現地実査、公聽会開催の上再檢討するから該公文は一時保留せよとの電報が宮城縣知事宛に発せられたのである。

本年五月十七日一松総裁は仙臺市に出張され、宮城縣、仙臺市公職者、地元代表等五十有余名を一堂に招致され、総裁自ら座長を勤められ詳細に関係者の声を聽取されたのである。

復興事業は一日も等閑に附しえないのである。仙臺市民に不安感を永く與えてはならぬのである。政府の朝令暮改、朝三暮四的な公理無き改変は爲政者の権威のために惜しむのである。仙臺駅は北方に移轉はしないのである。

総裁、仙臺市より帰京されてすでに十日を経たが、再檢討の上、將た又都市局長発の公文を一時保留されたる上の最後の裁断、果して如何。速かに仙臺市民のため一松総裁の回答を要望する。

右質問する。

衆議院の原文・経過

政府答弁書

仙台駅前街路変更の問題につきましては、質問主意書にもあります通り、既定計画路線である仙台駅川内線を直線に変更するという運動が一部に起り、市会においても、これが変更の請願について、駅舎が北方に移轉することが可能であることを前提として議決され、市会当局よりその旨陳情があつたのであります。

そこで建設院事務当局としては直ちにこれが檢討調査をいたしたのは勿論でありますが、総裁も五月十七日仙台市に赴きました際、同市長主催の「仙台駅川内線関係者懇談会」に列席いたしまして、原案及び変更案双方の支持者の意向を十分聽取し、種々懇談檢討いたしたのでありますが、運輸省の意向といたしましては、技術的にみても、駅舎を北方に移轉するとすれば東北本線に急カーブを生ずるので、運輸技術上よりみてどうしても非罹災地域の既存集團高層建築物の位置に路線を移設することが必要であるというのでありまして、これが撤去に要する経費は数億を要することが明かとなつたのであります。

これがため懇談会においては、市会の直線論の議決も前述のやうに駅舎移轉を前提としての結論であり、旁々駅舎移轉がこのような障害負担を伴うものであるとすれば寧ろ原案にしかずとの意見が多かつたので、その後專門的技術者の見解及び実例、文献等を愼重檢討の結果、原案執行の裁決を下した次第であります。

なお本旨につきましては、本質問主意書の提出があつた翌五月二十八日附で都市局長より宮城縣知事及び仙台市長宛に「総裁現地視察による意見書」を送付いたしてあります。

衆議院の原文

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