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中仙道改修工事に関する質問主意書

衆議院 第10回 第58号

提出者
衆議院
提出日
1951年1月8日
内閣転送 1951年1月23日
答弁書受領日
1951年1月26日
提出から18日
答弁の項目数
0
質問 1,248字/答弁 443字

質問本文

衆議院議長 ※(注)原喜重※(注) 殿

仲仙道改修工事に関する質問主意書

仲仙道(国道)の改修工事に関しては、第七国会当時から建設、予算等各委員会で政府当局に対し、種々質疑が行われ、左の諸点が明らかにされている。

1 この工事は、関係方面の命令によるものではなく、政府の自主的計画に基いて進められているものであること。

2 工事の目的は、軍用道路の建設にあるのではなく、産業道路であること。

3 路線の決定は、地元民の意思を尊重して実施されており、現在まで反対の声を聞いていない。もし強い反対が実際にあるとすれば、その方面の工事を中止することもあらう。

そこで次の諸点について質問する。

一 右のような政府の所信は、現在なお変更されていないと考えるが如何。

二 政府は右路線の決定に際して、当該市町村その他地元民の意向をいかなる方法と手続をもつて問い、決定しているものであるか。

三 右に関連して、現に問題となつている一つの事例をここに提示して、政府の見解を詳細に示されたいと考える。

すなわち、埼玉県大里郡深谷町では、昭和二十三年夏、事前に何らの通告もなく、突如測量が行われたため、関係町民は驚いて町役場に質したところ、町当局は「占領軍の命令だから反対はできぬ」旨を回答したといわれる。なお、その後も本件に関しては一度の正式町会も開催されず、秘密会としての町協議会は一度開催されたが、もとより関係町民の傍聽は許されなかつた。

しかるに、この時示された工事予定路線は、今日まで変更された模様は全くなく、現在の予定線に反対する強い世論は、その後次第に高まり、第七、第八国会当時には、国会、建設省等へも反対陳情があり、深谷町では町民の町当局の不明�焉A非民主的決定への批難の動きも見られるに至つた。元来、現在の予定路線なるものは、現在中仙道沿いに五〇 ―― 二〇〇メートル程度の僅かな間隔で、やや斜めに町を縦貫しているため、市街の構成は四離滅裂に破壊され、また、六〇戸一〇〇世帶を犠牲にするものである。若干路線を変更することによつて容易にこの弊を避け、将来の町の発展にも資し得ることは極めて明らかである。反対論の要旨もおおむねここに存すると思われる。かくて、約一箇年近く町当局と有志並びに犠牲者達との間に紛糾が継続したまま今日に至つている。このため建設工事担当当局も困惑しているものと推測される。

右事例に関し特に左の諸点について政府の所信を明らかにされたい。

1 右の場合、道路工事予定路線は、すでに地元民の賛成があつたものと考えて、このまま実施推進することを妥当と考えるかどうか。

2 予定線を再検討するため、当分の間工事を中止するよう命ずる考えはないか。

3 若干路線を変更することによつて、円満且つ合理的に事態を解決する方途を考究する意思はないか。

4 なお、参考のため、かかる場合の犠牲者に対する補償措置の内容を詳細且つ具体的に示されたい。(商店、住宅、農地等に細別して、)

右質問する。

衆議院の原文・経過

政府答弁書

質問一に対し、

政府の所信は変更されていない。

質問二に対し、

路線決定に際しては、現地機関において県知事及び地元市町村代表機関と緊密に連絡し、あらゆる方面より検討したものである。

特に深谷町の場合においては、昭和二十三年八月三日町会議員協議会において新国道建設に対し全員一致の決議を行い、なお、新国道敷にあたる区域全員による国道協力会が設立され、全面協力の態勢を示したもので、地元の意向が充分に採られたものである。

事例に関する諸点に対する政府の所信

1 道路工事予定路線については、その後一時反対陳情が行われたが、現在においてはほとんど町を挙げて同意しており、新国道敷内における住民ほとんど全部の起工承諾を得たので、このまま実施を推進いたしたい。

2 工事を中止する考えはない。

3 円満に解決していると考えている。

4 現在折衝の段階にあるので、具体的には申し上げられないが、土地価格、離作補償料、家屋移転料、立退料、営業補償費等についてできるだけの措置を講じたい。

右答弁する。

衆議院の原文

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