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護衛艦さわぎり艦内での隊員自殺事件についての調査委員会報告書に関する質問

参議院 第148回 第6号

提出者
参議院
提出日
2000年7月5日
内閣転送 2000年7月6日
答弁書受領日
2000年8月8日
提出から34日
答弁の項目数
15
質問 3,269字/答弁 3,565字

質問本文

護衛艦さわぎり艦内での隊員自殺事件についての調査委員会報告書に関する質問主意書

一九九九年一一月八日、護衛艦さわぎり艦内で自殺した機関科所属の三等海曹(二一歳、以下「A海曹」という。)の事件に関連して二〇〇〇年五月三〇日に質問主意書を提出し、六月二〇日に答弁書を受領したが、答弁の内容に多くの疑問があり、政府による公正な調査が行われたという確認をすることができなかったので、改めて、以下質問する。

一、答弁書の一は、一一月八日の隊員自殺事故発生時に「さわぎり」がいた地点を明らかにすると「自衛隊の戦術、戦法等が明らかになる」という理由で、これを公表できないとしている。しかし、この答弁では、最初の発表で「土佐沖」という場所をイメージできる表現を使ったことの説明がつかない。地点を明らかにしないのであれば、「太平洋上」などという表現が使われたと思うが、最初の発表があえて場所をイメージできる表現を使ったのはなぜか。

二、陸からの距離について質問したのは、事故発生時には事故者を緊急に陸上医療機関に搬送すべきだと考えるからである。今回の事故でも、直ちに搬送し蘇生機器による蘇生術が施されれば、一命を取りとめたかもしれない。その観点から、本件は搬送でき得たのにしなかったのか、でき得なかったので搬送しなかったのかを確認したかったものである。距離を明らかにすると「戦術、戦法等が明らかになる」という主張は理解しがたいが、事故調査委員会の任務には、事故原因の調査のみでなく、事故対応が適切であったかどうかを調査することも含まれるはずである。そこで改めて質問するが、事故発生当時のさわぎりはA海曹をヘリコプター等で陸上まで運べる位置にあったのか。また、その位置から佐世保まで寄港するのに何時間を要したのか。

三、答弁書の二は、報告書の二ページの(ウ)について答えているが、質問は(ウ)について聞いたものではなく、A海曹が普段から夕食を食べていなかったのか、この日に限り食べていなかったか、そもそもそのような調査を行っているのかを質問したものである。報告書も答弁書も、自殺の直前のA海曹の行動が普段と変わりがなかったとしているが、答弁書の三では「事故者は同月七日の夕食は食べなかったと考えている」と書かれている。夕食をこの日に限って食べていなかったとすれば、普段と同じだったという判断はできないのではないか。

四、答弁書の三ではA海曹の勤務時間と非番について書かれているが、「訓練には参加していない。」としか書かれていない。訓練そのものが行われていなかったのか。行われていたのに参加させていなかったのか。行われていたとすれば、どのような訓練が行われていたのか。

五、答弁書の四が指摘しているように、A海曹は非番のときも自主的に勉強をしていた。このことは報告書の中にも書かれ、遺族等の証言でもうかがうことができる。ところで、この一一月六日から八日にかけての非番のときには、A海曹は何をしていたかを調査委員会は把握しているか。把握しようという調査は行ったのか。調査を行ったのであれば、把握している限り、非番の時間におけるA海曹の行動について示されたい。

六、同様に「いじめ」の当事者と指摘されているP班長、H班長について、この三日間の勤務日程、訓練日程はどのようなものだったか。また両班長について、非番の時間はどのような行動をとっていたか。

七、副長Nは機関科Lとともに右軸室に駆けつけた事実はないということであるが、では副長Nは、いつ、どの時点で軸室に行ったのか。A海曹を動かすよう指示したのは誰で、何時ごろ、その指示を行ったのか。

八、答弁書の七では、機関科Lは「A海曹が自殺するとは思ってもいなかった」としているが、報告書では自殺の直前にA海曹が右軸室でロープを持っているところに遭遇し、まず「なんしよっとや」と言い、「上に上がるぞ」と言って、二人で第二甲板まで上がり、さらに別れたあと再び医務室前でロープを持っているA海曹と出会い、「変な事は考えるなよ」という声をかけている。夕食も、ひょっとしたら朝食も取らず、睡眠もそこそこの人間が、何度もロープを手にして現れれば、ここで「自殺の危険」を考えるのがむしろ当然と思うが、それを思わなかったとする機関科Lや調査委員会の委員における「人の命」に対する感性は極めて麻痺していると言わざるを得ない。この一点だけをとっても、より人権意識の高い、事件の当事者とは別の調査機関による調査がもう一度詳細に行われることが必要と考えるがどうか。

九、機関科Lが一一月九日、遺族に対して、A海曹が「紐を持って今にも首をつろうとしていた」と述べたところは、艦長を含め、この日に遺族の前に整列したすべての隊員が聞いているはずである。ところが答弁書の八では、機関科Lは「御指摘のようなことは語っていない」と述べたとしている。いったい、これはどのような調査に基づいているのか。機関科L一人だけから聞いたのか、艦長を含め複数の人間に確認をしたのか。

一〇、電話連絡訓練においてA海曹が二日間も自宅待機したことについては、答弁書の一〇及び一二において、Wが同訓練の目的をよく理解していなかったためとしているが、ではWはこの訓練において、どこで何時間待機をしたのか。W及びWからの連絡を受けたもう一人であるGは、A海曹と同じように二日間待機することになったのか。もし、そうでなかったとすれば、WとGに待機解除を伝えた者は誰か。その者は、なぜA海曹にはこれを伝えなかったのか。あるいは、二人は解除の連絡を受けずに勝手に待機を終了させたのか。

一一、手帳は、A海曹の遺書あるいは自殺の原因を探る上で重要な手掛かりとなるはずのものである。ところが、答弁書は一三で、調査委員会を含め誰も二冊の手帳に切り取られたページがあることに気付かなかったと述べている。切取り方は極めて巧妙であり、気付かれないように切り取ったことも考えられる。手帳は調査委員会に渡る前に、まず副長N、P班長及びW、そして警務隊の二人の警務官の手に渡ったと書かれているが、それぞれ数分間とされている。そこで、改めて質問するが、二冊の手帳が調査委員会の手に渡ったのは何月何日の何時頃か。手帳の第一発見者は誰で、それは何月何日の何時頃か。その第一発見者の手から、調査委員会の手に渡るまでは何日と何時間か。その間合計数分間、副長N、P班長及びW、そして警務隊の手に渡っていたとして、残る膨大な時間の間、誰がどこで、どのような形でこの手帳を管理していたのか。

一二、そもそも、手帳がなぜ切り取られたか、誰によって切り取られたか、懸命の調査を行おうとする意欲そのものがうかがえない。この手帳の問題も含め、本人の意志を確認するものを何も調べていない状態で、どうして「自殺である」という判断を行い得たのか。誰が、いつ、どのような根拠で「自殺」と判定したのか示されたい。

一三、この事件について、A海曹の妻及びその両親から約四時間半、A海曹の両親等から約二時間半の聞き取りを行ったというが、P班長及びH班長からの聞き取りは何時間か。P班長以外の隊員からの聞き取りは合計何時間か。

一四、答弁書の一六では、「さわぎり」において「ベテランの准海尉をカウンセラーに指名し」、「艦長が苦情受理者として乗員の苦情を受けている」と書いているが、A海曹の両親は別の問題があったときにI分隊長とN機関長に対して手紙を出しているが、返事をもらえなかったという。この二人は、両親からの手紙をどのように扱ったのか。

一五、機関長でさえ「雲の上の人」とA海曹は語っていたという。さらに、その上の艦長が苦情受理者では、隊員が気軽に苦情を持ち込むことができるとは思えない。海上自衛隊においては今でも艦長が苦情受理者に指定されているのか。それでは、苦情受付は全く機能しないと思うが、政府の見解を示されたい。

右質問する。

参議院の原文・経過

政府答弁書

一について

本年二月二十一日に、海上自衛隊佐世保地方総監部(以下「佐世保地方総監部」という。)が、平成十一年十一月八日に護衛艦「さわぎり」艦内で発生した隊員の自殺事故(以下「本件事故」という。)の発生場所を「土佐沖」と表現した理由は、遺族等が場所をイメージしやすくするためにはこのような表現が適切であり、また、このような表現であれば、本件事故当時の「さわぎり」の具体的位置までは明らかにならず、自衛隊の戦術、戦法等が明らかになるおそれがないと考えたためである。

二について

本件事故当時の「さわぎり」は、自殺した隊員(以下「事故者」という。)をヘリコプター等で陸上まで運べる位置にあったが、発見当時、事故者は心肺停止状態にあり、可及的速やかに救命処置を行う必要があったため、救急救命士の資格を持つ衛生員長等による救命処置を直ちに開始するとともに、「さわぎり」と同一行動中の僚艦からへリコプターにより医官を直ちに「さわぎり」に急行させ、医官による救命処置を継続して実施したものである。仮に、発見後事故者を直ちにヘリコプターで搬送した場合には、陸上医療機関まで数時間を要し、この間十分な救命処置が行えなかったことを考えると、当時の処置は、万全を期したものであり、適正であったと考えている。

また、本件事故の発生場所から佐世保港に実際に帰港するまで、「さわぎり」は、約二十一時間を要した。

三について

事故者の食事については、平成十一年十一月七日の夕食を事故者が食べなかったこと以外は判明せず、本件事故に係る一般事故調査委員会(以下「調査委員会」という。)においては、同日の夕食を事故者が食べなかったことをもって、普段と同じであったか否かは判断していない。

なお、調査委員会作成の「護衛艦「さわぎり」の一般事故調査結果」と題する報告書(以下「報告書」という。)の二ページの(ウ)の「特に普段と変わったところはなかった」との部分は、同日の当直終了後、事故者が普段と変わりなく同僚と将棋を指していたという調査の結果を記述したものである。

四について

平成十一年十一月七日から翌八日にかけて「さわぎり」で実施された訓練は、別紙1のとおりである。

事故者は、これらの種目の選手に選抜されていなかったことから、これらの訓練には参加しなかった。

五について

調査委員会においては、非番時を含む事故者の行動について、乗員からの聞き取り調査等により、これを把握しようと努めたが、平成十一年十一月六日から同月八日にかけての事故者の非番時の行動で把握できたのは、別紙2のとおりである。

六について

御指摘の「P班長」及び「H班長」の平成十一年十一月六日から同月八日までの三日間における勤務日程は別紙3のとおりであり、訓練日程は別紙4のとおりである。

P班長及びH班長の同月六日から同月八日までの三日間の非番時の行動については、防衛庁においては、両班長から、いずれも、午後三時三十分から約三十分間艦上体育を行い、午後七時から約三十分間甲板掃除を行い、午後七時三十分に火の元点検を受け、別紙4に記載した訓練が行われていた際にはこれに参加し、当直者の食事のため一時当直を交代していたほか、これ以外の時間は、就寝していなかった際には、居住区の自己のベッドで雑誌を読んでいたか、入浴していたか、食堂でトランプを行っていたと思うと聞いている。

七について

御指摘の「副長N」は、首をつっている事故者を最初に発見した御指摘の「機関科L」からの報告を受けて右舷軸室に行き、同室に降りるラッタルの途中で本件事故の状況を確認し、P班長、機関科L等に対して事故者を床に降ろすよう指示したものである。

副長Nが右舷軸室に行った時刻及び事故者を床に降ろすよう指示した時刻は、いずれも、機関科Lが事故者を最初に発見した平成十一年十一月八日の午前十時一分ころから、事故者を医務室に収容した同日の午前十時十分ころまでの間である。

八について

調査委員会は、佐世保地方総監部の幕僚長を委員長とし、公正性を確保するため、「さわぎり」の関係者を含まず、海上幕僚監部、佐世保地方総監部等の隊員から構成されている上、約三か月間をかけて、遺族からの聞き取り調査を行うとともに、職務上の上司、同僚等の部隊関係者等から事情聴取を行うなど、徹底した調査を実施したものであり、本件事故に関し、再調査を行う必要はないと考えている。

なお、事故者が機関科Lにロープを持っているところを目撃されたのは、右舷軸室における一回だけであり、医務室前で機関科Lが再度事故者と会った時は、事故者はロープを持っていなかったものである。報告書の三ページの(コ)において、「軸室に居たこと及びロープを持っていたので」と記述しているのは、「右舷軸室に居たこと及び同室においてロープを持っていたので」という意味である。

九について

調査委員会においては、機関科Lが、平成十一年十一月九日、遺族に対し、事故者が「紐を持って今にも首をつろうとしていた」とは語っていないことについては、機関科Lのみならず、その場に立ち会った艦長を含め複数の者に確認している。

一〇について

御指摘の「W」は、御指摘の訓練の目的をよく理解していなかったため、訓練当日は終日待機していなければならないものと誤解して、終日自宅で待機していた。

一方、御指摘の「G」は、当該訓練の目的を理解していたことから、Wから電話連絡を受けた時点で訓練を終了した。

一一について

御指摘の二冊の手帳については、平成十一年十一月八日の午前十時二十三分ころ、機関科の士長が最初に発見して副長Nに渡し、副長Nがこれを調べた後、衛生員長が、他に事故者が身に付けていたものと一緒にこれをビニール袋に入れて医務室で保管し、翌九日に警務官が二冊の手帳を調べた後、補給長が、当該ビニール袋を士官室で保管していたが、同月十四日の午後、二冊の手帳を遺族にお返しした。

その後、調査委員会が、同月二十七日の午前九時ころから同日の午前十一時三十分ころまでの間、遺族からの聞き取り調査を実施した際、遺族から、二冊のうち一冊の手帳が一ページ破られている旨の訴えを受け、その場で、二冊の手帳を確認した後、そのうちの破られたページがある手帳一冊を遺族から預かった。

二冊の手帳が第一発見者の手から調査委員会の手に渡るまでの期間は十九日間であるが、そのうち、六日間は「さわぎり」の乗員が管理し、十三日間は遺族が管理していた。

一二について

事故者の検視を実施した警務官が、平成十一年十一月十七日に、死体の外部所見、現場の状況等を総合的に勘案し、自殺と判断した。

一三について

調査委員会においては、P班長からは延べ約四十時間以上、H班長からは延べ約二十時間以上、それ以外の隊員からは合計約二百時間以上、それぞれ聞き取り調査を行った。

一四について

防衛庁においては、御指摘の「I分隊長」から、平成十一年九月中旬に、当時事故者が抱えていた不動産に係る問題の処理に関して、事故者が迷惑をかけたことを謝罪するとともに、I分隊長の心遣いに感謝するとの内容の手紙を遺族から受領し、これを御指摘の「N機関長」に報告するとともに、当該問題の処理に携わった機関科の一曹にも通報したが、礼状であったこと等から、返事は出さなかったと聞いている。

また、防衛庁においては、N機関長から、同人も、I分隊長と同じ時期に、同じ内容の手紙を遺族から受領し、事故者にこれを知らせるとともに、両親にもよろしく伝えてほしい旨を述べたが、返事は出さなかったと聞いている。

一五について

海上自衛隊においては、現在でも艦長が御指摘の苦情受理者に指定されている。

当該苦情処理制度は、自己の受けた取扱いが不法・不当であると考える隊員が、直近の上司を通さず、苦情受理者として指定されている各部隊等の長に対して直接苦情の救済を求めることができるものであり、有益なものであると考えており、また、これ以外にも、隊員の悩みについては、個人面接及び管理者による観察等により心身の状況を把握し、上司、先輩等が一体となって親身に問題の解決に当たるよう指導している上、カウンセリング制度も採り入れており、様々な方法により対応しているところである。

別紙一 平成11年11月7日から翌8日にかけて「さわぎり」で実施された訓練

別紙二 平成11年11月6日から同月8日にかけての事故者の非番時の行動

別紙三 P班長及びH班長の平成11年11月6日から同月8日までの3日間における勤務日程

別紙四 P班長及びH班長の平成11年11月6日から同月8日までの3日間における訓練日程

参議院の原文

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