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血液製剤によるHIV(エイズウイルス)感染薬害に関する再質問主意書

衆議院 第134回 第29号お答えすることは困難 ×1承知していない ×1

提出者
衆議院
提出日
1995年12月15日
内閣転送 1995年12月15日
答弁書受領日
1996年2月23日
提出から70日
答弁の項目数
75
質問 7,598字/答弁 16,022字

質問本文

血液製剤によるHIV(エイズウイルス)感染薬害に関して、平成七年十一月十四日提出の質問主意書に対する答弁書を拝受した。注目すべき新たな見解も散見されるが、「確認できない」など不明確・無責任な回答も多く、真相を明らかにする姿勢にはまだまだ欠けるものである。また、前回の質問には、盛り込めなかった疑問・論点がまだまだ多数存在する。そこで、以下のとおり再質問する。

一 当時の厚生省の情報収集体制について

1 CDC週報はいつから厚生省のどの部署が入手しているのか。さかのぼって調べるのが困難な場合は、81年〜83年(以下当時)に限ってはどうか。

2 当時、CDC週報の入手は料金を払って購入していたのか。それとも、CDCが無料で情報提供のため送付してくれていたのか。

3 当時、同様の海外の副作用等の情報を収集するために、どの部署がどのような出版物を定期的に購入していたのか。「ニューイングランド医学ジャーナル」誌、「ヘモフォリアブリティン」誌は入手されていたのか。現在ではどうか。

4 こうした海外の情報は翻訳など問題もあると思うが、どのような事務手続を経て課長などの責任者に伝達されるのか。たまたま読み落としたり、担当者の判断で課長などの責任者に情報が届かないようなことは起こり得るのか。

5 「3名の血友病患者にエイズ症例発症」の記事を載せた82年7月16日発行のCDC週報を入手したのはいつか。担当部署はどこで、その責任者がこの情報を認識したのはいつか。記事中にはどのような表現があるか。

6 当時、元輸血学会長の村上省三氏より生物製剤課郡司課長へ血液製剤とエイズの関連に関する資料が送られていたのは事実か。事実とすれば、いつから、何回くらい、どのような情報が届けられていたのか。村上氏と電話で話すなり、会って話したりした事実はあるか。

7 八八年七月七日付け毎日新聞の「編集者への手紙」欄に今日の事態を予想したかのような血液製剤の輸入禁止を求める元薬務局勤務者の投書が掲載されている。退職者が元職の業務に対して、これだけ明確に意見を述べることはかなり異例のことであり、当然関係職員の目にとまっていたと思うがどうか。もし、この記事を見ていたとすればどのような感想をもったか。このような関連新聞記事をスクラップするなどの業務は、当時の生物製剤課及び保健情報課にて行われていたのか。

8 前回の質問主意書の答弁(以下答弁)において、八三年三月四日付けCDC週報に「血友病患者のエイズについては、血液製剤又は血液が原因のようにみえる」との記述があったことを認め、また当時厚生省薬務局生物製剤課にてこのCDC週報を八三年の早い時期に入手していた事実も認めている。この情報に関して何らかの対策を講じたのか。講じたとすれば、どのような対策か。

9 対策を講じていなかったとすれば、誰がどのような判断で対策を講じなかったのか。答弁においては「当時エイズウイルスが同定されておらず、エイズの原因がウイルスであるか否かは明らかでなかった」との見解が示されているが、この見解通り原因が何かわからないとしても、こうした状況であるからこそ、あらゆる情報、特にエイズに関してより情報をもっていると思われる米国の公的機関の情報などには敏感に反応すべきであったと考えるがどうか。

二 トラベノール社と厚生省との交渉について

1 答弁によれば「八三年当時、米国トラベノール・ラボラトリーズ・インク社の幹部が厚生省を表敬のために来訪し、また日本トラベノール社から生物製剤課に米国における加熱製剤の製造承認の申請データについて一回説明があった」とのことであるが、この両会合は同一のものか。別個のものか。

2 別個のものであるとすれば、前者の米国トラベノール社の「表敬訪問」(答弁によれば日時、場所、説明資料確認できず)の際には、加熱製剤の輸入についての話は一切出なかったのか。出なかったとすれば、こうした特に用件のない企業幹部の「表敬訪問」とはしばしばあるものなのか。

3 答弁(二の4)によれば、「八三年夏ごろ、日本トラベノール株式会社から米国における加熱製剤の製造承認の申請データについて説明があった」とあるが、この回答は答弁(二の1から3)の中で述べられている説明と同一のものか。

4 この日本トラベノール社のデータ説明の際、加熱製剤がエイズ感染防止に有効であるまたはあるらしいとの利点は示されたのか。

5 「加熱に伴う副作用の懸念」とは誰が、どのような医学的根拠で判断したのか。この際、懸念された副作用とはどのようなものか。死に至るような副作用なのか。

6 トラベノール社のエイズ患者の供血による製剤の回収は、答弁にあるように「エイズに関する新たな知見を提供するものではなかった」かもしれないが、利潤追求、責任回避などのためしばしば安全対策が後手後手に回ると指摘されがちな製薬企業が自ら自社製品を回収したという事実は血液製剤とエイズ感染の関連への疑いをさらに深めるべき重要な情報であると考えるがどうか。

7 答弁(二の7及び8)によれば、トラベノール社は「念のため」出荷停止を行ったとのことであるが、「念のため」というのはトラベノール社が言ってきたのか。文書に書いてあるのか。それとも厚生省がトラベノール社の意図を推測して述べているのか。

8 製薬会社が副作用、汚染等の被害が発生する以前また薬品、製剤等と被害の因果関係が十分判明しない内に、「念のため」製品を回収したりすることはよくあることなのか。あるなら、最近の例をいくつか述べよ。

9 答弁(二の6)によれば、八三年当時の対策が述べられ、「六月、社団法人日本血液製剤協会を通じて、各製薬企業からエイズ予防のための対応策を聴取し」とあるが、この聴取の方法はいかなるものか。聴取した企業はどこか。聴取した内容はどのようなものだったか。

10 答弁(二の6)に、「同年(83年)七月、同協会(日本血液製剤協会)を通じて、製薬企業に対し、輸入血液凝固因子製剤及び輸入原料血漿について同性愛者や麻薬常習者等のエイズのハイリスクグループからの供血によるものではない旨の証明書を添付するよう指示を行った」とのことであるが、この指示は文書でなされたのか。この指示の法的な位置づけは何か。この指示も生物製剤課の判断か。

11 答弁(二の6)によれば、「ハイリスクグループ」という言葉を使用しているが、ハイ(高)リスクの反意語、またハイリスクグループ以外の人々とはどのような人々か。もし「ロウ(低)リスクグループ」であるなら、異性愛者や非麻薬常習者などのロウリスクのものの供血は使用してもいいように読めるがどうか。ロウであってもリスクはあることを認めていたのではないか。

12 答弁(二の7及び8)によれば、トラベノール社の製品回収を「エイズ研究班」に報告したかどうかは確認できないとのことであるが、当時の厚生省担当者以外の研究班メンバーには確認したのか。確認していないとすればなぜか。今後、確認すべきと思うがどうか。

13 答弁(二の9)によれば、当時の郡司生物製剤課課長は「課内での検討を経て、最終的に課長が判断した」とのことであるが、課の構成員は何名か。その内、意思決定にかかわらない純粋事務職は何名で、意思決定にかかわったと思われる職員は何名か。課長補佐は誰で現職は何か。

14 前主意書の二の9に答弁漏れがあるので再質問する。郡司課長がこうした件を「職制上相談すべきなのは誰か。」

15 また訴訟の中で九五年三月二六日に提出されたいわゆる「トラベノール陳述書」においても「五、一九八三年における厚生省との協議」の項に、「加熱処理に伴う蛋白変性が有効成分の変更と当たると見るべきかどうかについて、厚生省は、中央薬事審議会の下部組織である血液製剤調査会委員に意見を求めたと聞いております。」との記述があるが、この件は、事実か。

16 同「トラベノール陳述書」には八二年当時から厚生省担当官と頻繁に加熱製剤の承認について交渉が行われていたようであるが、この点はどうか。

17 同「トラベノール陳述書」によれば、当時の生物製剤課課長補佐が当初「有効成分に影響を与えない製造方法の一部変更」の扱いで、加熱製剤の認可を示唆したとのことであるが、これは事実か。事実とすれば、どうしてこの扱いが、臨床試験が必要な新薬の扱いに変更になったのか。

三 「AIDSの実態把握に関する研究班」について

1 答弁(三の1)中にあるエイズ研究班のメンバー人選時の「エイズに関する当時の知見」とはどのようなものか。文書等に残っているのか。この知見も郡司課長以下、生物製剤課の独自の認識か。

2 その「知見」にのっとったとされる研究班の人選において、免疫、感染症、疫学などの権威を集めるとの観点は素人でも理解できるが、血液、血友病の権威をも集めたのはいったいいかなる根拠によるのか。

3 まして、班長が血友病の権威というのは、いかなる判断か。

4 この研究班の設置の決定は、さすがに生物製剤課課長のみの判断でないと思うが、どのレベルの上司までの裁可、判断を受けていたのか。

5 この研究班を運営する予算はどのような名目で支出されていたのか。委員には報酬、交通費等が支給されていたのか。支給されていたとすれば、領収書等は残っているか。

6 答弁(三の5)によると、九四年二月六日放送のNHK「埋もれたエイズ報告」の画面に映し出されている資料が配布資料かどうか「確認できない」とのことであるが、九五年一二月一日放送のNHK・ETV特集にはさらに明確に配布資料が映し出されている。この資料は配布資料か。もし、これも確認できないとすれば、NHKが書類をねつ造したとでもいうのか。資料の下部には厚生省の用箋であることを示す印字もある。あの印字は当時、厚生省で使用されていた用箋のものか。テレビ画面上の筆跡を当時の担当者(郡司氏のみでなく、課長補佐や森尾保健情報課担当官など)に見せ、自分の字かどうか確認できないか。確認しないとすれば、なぜか。

7 配布資料や議事メモが研究班のメンバーのもとにはないか調査しないのか。しないとすれば、その理由は何か。

8 答弁(三の4)によると、「エイズ研究班は、学術的な研究成果の報告を目的とする」とあるが、八三年五月二五日付け読売新聞によると郡司課長は「近く専門家で研究班をつくり、患者の有無などのも現状を調べ、対策を立てたい」と述べている。「対策」は目的ではなかったのか。なかったとすれば、この読売新聞の記事は何か。

四 エイズ研究班の血液製剤小委員会について

1 エイズ研究班にはどのような小委員会がいくつ設置されたのか。

2 その内、血液製剤小委員会はいつ設置されたのか。何回、いつ会合をもったのか。

3 どのような理由で、誰の判断で設置されたのか。郡司課長か。安部研究班班長か。

4 メンバーは誰か。メンバーの人選は誰がどのような観点で行ったのか。

5 各会合には、厚生省の担当官は誰が出席したのか。

6 配布資料、議事録、議事メモなどは残っているか。もし、「確認できない」とすれば、メンバーにも確認をとった上でのことか。

7 この小委員会の最終報告書はいつ出されているのか。またエイズ研究班に討議内容の報告を行ったのか。行ったとすれば、いつか。

8 小委員会の報告書に「我が国の血友病患者にとって、かかる因了製剤使用に関連するAIDS伝播は由々しき問題である」との表記があるのは事実か。

五 中央薬事審議会について

1 八三年当時の中央薬事審議会の会長及び委員の氏名、またその者の当時の役職等を述べよ。

2 八三年から八四年にかけて、現存する以下の特別部会及び部会は存在していたか。血液製剤特別部会、血液製剤調査会、副作用調査会。

3 血液製剤特別部会、血液製剤調査会が当時も存在していたとすると、そのメンバー及び部会長の氏名、及び当時の役職等を述べよ。

4 当時、これら一二つの部会が存在していたとすると、八三年から八四年にかけてそれぞれ、いつ、何回会合が開催されているか。

5 それぞれの会合の議事録、メモなどは残っているか。公開はしているのか。

6 広河隆一氏著「日本のエイズ」一五三ページに、「実はクリオ問題は、この小委員会(血液製剤小委員会)にかけられる以前に、薬事審議会の血液製剤部会で討議されたことがあった。」との記述がある。この表記は事実か。もし、確認できないとすれば、どのような調査の上で確認できないのか。

六 いわゆる「スピラ認定」及び第一号症例の認定について

1 答弁(四の1及び2)に漏れがあるので、再質問する。郡司課長以外の「会合の出席者は誰か。厚生省、エイズ研究班、CDCそれぞれについて答えよ。」また、CDCのローレンス氏の出席は確認できないとのことであるが、いわゆる外国人はスピラ氏のみだったのかどうかの記憶はないか。生物製剤課課長補佐、保健情報課課長の出席はどうか。

2 答弁内のCDCが八二年に発表したエイズに関する診断基準とはどのようなものか。

3 帝京大症例に投与されていたステロイド剤とはいつから、何のため、どれくらいの量投与されていたのか。

4 この症例の他にも、日本においてステロイド剤の投与によるエイズ疑似症例の報告はあるのか。

5 医学的に、また薬事行政として、こうしたエイズの疑似症例のような症状まで引き起こすようなステロイド剤の投与は、問題ではないのか。

6 厚生省及びエイズ研究班がいわゆる帝京大症例を実はエイズと認定していたまたはなんらかの理由で故意に認定しないようにしていたのではないかとの疑惑は晴れないが、もし「エイズの疑似症例と考えていた」との厚生省見解を認めるとしても、このこと自体、重大な判断ミスとは考えないか。

7 八四年九月二十日付けの保健医療局通知「AIDS調査の実施について」に基づき各都道府県からはじあて調査票が提出されたのは、いつ、どこの都道府県から何通か。

8 厚生省が八五年三月二十二日に発表した第一号症例の調査票はいつ、どの都道府県から提出されたのか。

9 その後、八五年四月二日に帝京大症例の調査票が東京都より提出されるまでの間に、東京都から他の調査票の提出はあったか。

10 この帝京大症例の調査票の提出について、東京都と事前の協議はあったか。あったとすれば、どのようなもので担当者は誰か。

11 保健医療局に設置された「AIDS調査検討委員会」は、いつ設置され、担当課はどこで、メンバーは誰で、会合はいつ何回開催されているのか。

七 CDCローレンス博士と意見交換を行った旨の報道について

答弁によれば、二度にわたる調査によっても、生物製剤課長、エイズ研究班メンバーの双方にローレンス氏に面識がなく、会合の記憶もないとのことであるが、記憶がないだけであって、会っていないと断言できる者がいない以上、当該毎日新聞報道について、やはりローレンス氏本人にこそ、確認すべきと考えるがどうか。そう考えないとすれば、その理由は何か。

八 加熱製剤の臨床試験について

1 八三年一一月に厚生省が加熱製剤の治験説明会を行ったのは事実か。治験説明会の担当部署はどこか。この説明会の趣旨、法的位置づけは何か。

2 八四年一月に厚生省が加熱製剤の治験の指示を行ったのは事実か。治験の指示の担当部署はどこで、法的位置づけは何か。

3 加熱製剤の治験を行ったメーカーは何社で、どこか。

4 各社が治験を開始したのはそれぞれいつか。

5 治験を担当した医師、病院などはどこか。公開しないとすれば、その理由は何か。

6 例えば、この治験担当医師が設立した財団に対し、治験の直前の時期、治験を受ける立場の製薬会社が寄付をするというような行為は法的に問題となりうるか。道義的にはどうか。

7 八五年一月、各社に許可申請するように指示したのは事実か。この指示の担当部署はどこか。この指示の法的位置づけは何か。

8 各社が許可申請をしたのはそれぞれいつか。

9 この申請を審査した中央薬事審議会の担当部会はどこか。メンバーは誰か。

10 許可が出たのはいつか。

11 違った時期に治験を開始した同種の薬剤、製剤の承認が同時に出るということはよくあることなのか。よくあるとすれば、例を示せ。

九 加熱製剤販売開始後の非加熱製剤の扱いについて

1 この回収・販売停止などの通達を出さなかった時点で、担当の生物製剤課長は、エイズと非加熱製剤の関係をどのように認識していたのか。

2 この時点の生物製剤課長は誰か。その上司の役職と氏名を答えよ。

3 回収・販売停止などの通達を出さないことは、その上司に相談したのか。

4 答弁(六の1)によると非加熱製剤の回収・販売停止を行わなかったひとつの判断理由として「血液凝固因子製剤が、血友病患者の治療上不可欠である」との認識が述べられている。しかし、加熱製剤が既に承認されていること、血液凝固因子製剤以前はクリオ製剤による治療が行われていたこと、血友病はそれのみで直接死に至るものではないことなどの点から、この判断理由は理由になっていないと思われるが、どうか。

5 答弁(六の1)によると「製薬会社が自主的に加熱製剤と交換する方法で非加熱製剤を回収していた」とあるが、この回収の事実、方法、スピードをどのように把握していたのか。把握していたとすれば、どのような状況だったのか。

十 天下り問題について

1 答弁によれば八〇年から九五年にかけて五名の厚生省職員がミドリ十字へ天下りをしているとのことだが、これは同時期の他の製薬会社への天下りと比べて多いのか。この時期に一番多くの厚生省職員が天下りしている製薬会社の規模と天下りの数と比較して答えよ。

2 厚生省に在職したことのある者で八〇年から九五年にかけて日本血液製剤協会の職員となったものの氏名、厚生省における最終役職及び協会における役職を答えよ。

十一 責任者の刑事責任について

答弁によれば、当時の血液製剤の危険性に関する情報判断、その後の対応に遅れがあったと認められる。答弁では、当時の郡司、松村両生物製剤課長がこれらの件について最終判断をしていたとのことであるが、これが事実とするとこの両名には業務上過失致死の重大な疑いがある。捜査当局にこのような認識はあるか。あるとすれば、どのような捜査を行っているか。

右質問する。

衆議院の原文・経過

政府答弁書

一の1から3までについて

厚生省において、当時の薬務局生物製剤課及び公衆衛生局保健情報課の職員に対する事情聴取を行ったところ、御指摘の米国防疫センター(CDC)の週報(以下「CDC週報」という。)については、薬務局生物製剤課においては昭和五十八年の早い時期から、公衆衛生局保健情報課においては遅くとも昭和五十八年ごろから、それぞれ無料で入手していた。

御指摘の「ニューイングランド医学ジャーナル」誌及び「ヘモフィリアブレティン」誌並びにその他の出版物の定期的な購入の状況については、確認できない。

現在、厚生省薬務局においては、御指摘の出版物のうち「ニューイングランド医学ジャーナル」誌を企画課血液事業対策室、審査課及び安全課が購入しているところである。

一の4について

海外で発行された医学雑誌等の情報については、入手した部署において課長及び担当職員が回覧している。

なお、現在、翻訳のための職員は配置されておらず、すべての海外情報に目を通し、関係者に伝達することは困難である。

一の5について

御指摘のCDC週報の記事には、他に潜在疾患のない血友病患者三名にカリニ肺炎が発生し、うち二名が細胞性免疫不全と判明した旨の記載等がある。

当該CDC週報を入手した時期等については、厚生省において当時の薬務局生物製剤課及び公衆衛生局保健情報課の職員に対する事情聴取を行ったが、記憶している者がいないため確認できない。

一の6について

当時の厚生省薬務局生物製剤課長に対する事情聴取を行ったところ、同人は、昭和五十八年の早い時期から、エイズに関する主要な文献を御指摘の者から定期的に提供されていたところである。

一の7について

御指摘の投書は、昭和五十八年七月七日付けの毎日新聞に掲載されたものと思われるが、厚生省において当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったところ、昭和五十八年当時、同課において業務に関連する新聞記事の切り抜き資料の作成等の業務は行われており、当該資料は保存されているが、御指摘の投書について記憶している者はいなかった。

一の8及び9について

当時の厚生省薬務局生物製剤課において、昭和五十八年六月に「AIDSの実態把握に関する研究班」(以下「エイズ研究班」という。)を設置するとともに、同年七月に社団法人日本血液製剤協会を通じて、各製薬企業に対し、輸入血液凝固因子製剤及び輸入原料血漿について男性同性愛者、麻薬常習者等のエイズのハイリスクグループからの供血によるものではない旨の証明書が添付されるよう指示を行っていたところである。

二の1について

御指摘の両会合は、別個のものである。

二の2について

厚生省において、当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったが、昭和五十八年当時、米国トラベノール・ラボラトリーズ・インク社の幹部が厚生省に表敬のために来訪した際の話題の詳細を記憶している者がいないため、御指摘の件は確認できない。

なお、製薬企業幹部の厚生省に対する表敬訪問は、特に異例ではないものと承知している。

二の3について

さきの答弁書(平成七年十二月五日内閣衆質一三四第一五号)二の1から3までについてにおける「日本トラベノール株式会社から同課の課長及びその職員に対し米国における加熱製剤の製造承認の申請データについて一回説明」と同答弁書二の4についてにおける「日本トラベノール株式会社から米国における加熱製剤の製造承認の申請データについて説明」は、同一のものである。

二の4について

厚生省において、当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったところ、御指摘のトラベノール社からの米国における加熱製剤の製造承認の申請データについての説明の際、肝炎ウイルスに対する効果についての説明があったことを記憶している者はいるが、エイズに対する効果についての説明があったことを記憶している者はいなかったところである。

二の5について

御指摘の懸念は、血液製剤中に含まれる蛋白質が加熱で変性することにより、これを投与された者に異種の蛋白質に対する急性のアナフィラキシーショック症状が発生し又は血液凝固因子製剤を無効にするインヒビターが慢性的に発生する頻度が増加する等の懸念であり、これは蛋白質が加熱により変性しやすいという基本的な科学的知見に基づくものである。

また、アナフィラキシーショック症状を生じた場合及びインヒビターが発生した場合のいずれについても生命にかかわる場合があるものと承知している。

二の6について

御指摘の件については、昭和五十八年当時、米国において米国食品医薬品局(FDA)が血液凝固因子製剤の原料血漿に関し、男性同性愛者、麻薬常習者等のエイズのハイリスクグループからの供血を避けるべきであるとの勧告を行っていたところ、日本トラベノール株式会社が米国から輸入した血液凝固因子製剤について一部の原料血漿供血者が供血後エイズ様症状を呈したため、念のために出荷停止等を行ったものであり、エイズに関する新たな知見を前提とするものではなかったと承知している。

二の7について

御指摘の日本トラベノール株式会社の措置は、昭和五十八年三月に米国において血液凝固因子製剤の原料血漿について男性同性愛者、麻薬常習者等のエイズのハイリスクグループからの供血を避けるべきであるとの米国食品医薬品局の勧告が行われていたことから、同社において念のために講じた措置であると承知しているところであり、トラベノール社陳述書においても、「供血者が罹患した病気と血液製剤との因果関係について何の証拠がなくても、予防措置として回収するというのが基本方針なのです。それが顧客である患者にとって最善の利益になるというのが理由です。こうした回収はまさに自発的に行なうものであり、一九八三年五月のプロプレックス回収の際も、回収する旨FDAに報告しましたが、FDAからは回収指示、命令が出されたわけではありません。」とされているところである。

二の8について

御指摘の例としては、平成七年十一月に不妊症治療剤のアンプル中に別のアンプルの破片の付着が発見された事例について、注射針を通過し得る微細な異物により健康被害が生じる可能性は極めて低いと考えられたが、念のために市場に流通している製品を回収したもの及び平成七年十二月に気管支拡張剤に小さな金属片の混入が発見された事例について、仮に製品に混入して服用されたとしても、糞便中に排泄されるものと考えられたが、念のために同一ラインで製造された他の製品も含めて回収されたもの等がある。

この外、平成六年十一月にクロイツフェルト・ヤコブ病と診断された供血者の血漿を含む原料血漿から製造された血液製剤について、クロイツフェルト・ヤコブ病が血液製剤により伝播するか否かは不明であるが、念のために当該ロットに属する製剤が回収された事例がある。

二の9について

昭和五十八年六月、当時の厚生省薬務局生物製剤課の指示により、社団法人日本血液製剤協会が、同協会の会員である製薬企業に対し通知を発し、各社においてエイズに関する対応策を検討し、同協会に報告するよう求めたところである。当該報告においては、各社が輸入している血液凝固因子製剤及び原料血漿について輸出元において男性同性愛者、麻薬常習者等のエイズのハイリスクグループからの供血を排除する等の措置が講じられている旨の回答がなされているところであり、同協会において取りまとめた上で厚生省に報告されたところである。

二の10について

御指摘の指示は、社団法人日本血液製剤協会に対して口頭でなされたものであり、同協会を通じて会員である各製薬企業に伝達されたものである。当該指示は、所管の厚生省薬務局生物製剤課の判断により・行政指導として行ったものである。

二の11について

御指摘のエイズのハイリスクグループ以外の者とは、男性同性愛者、麻薬常習者等のエイズのハイリスクグループ以外のすべての者である。

昭和五十八年当時においては、米国の例に倣って血液凝固因子製剤の原料血し漿について男性同性愛者、麻薬常習者等の供血によるものではない旨の証明書を添付するよう指示を行ったところであり、御指摘のようなエイズの「ロウ(低)リスクグループ」という概念はなかったものと承知している。

二の12について

厚生省において、エイズ研究班の構成員であった者全員に確認したところ、御指摘の日本トラベノール社の出荷停止等の措置について厚生省から報告を受けたことを記憶している者はいなかった。

二の13について

昭和五十八年十月当時の厚生省薬務局生物製剤課の職員数は十八名であるが、御指摘の件について同課の職員が具体的にどのように意思決定にかかわったかについては、確認できない。

二の14について

御指摘の課長が職制上相談すべき者は直接の上司である厚生省薬務局長であるが、同課長に対する事情聴取を行ったところ、御指摘の件はエイズに関する新たな知見を提供するものではなかったことから、同局長に相談することはなかったものである。

二の15について

御指摘の件については、当時の中央薬事審議会血液製剤調査会の議事要旨には記載されていない。

二の16について

御指摘の件について、厚生省において当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったところ、当時、日本トラベノール株式会社の社員が来訪していたことを記憶している者はいるが、どの程度の回数であったかを記憶している者はいなかった。

二の17について

厚生省において、当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったが、御指摘の件についてはこれまでのところ確認できていない。

三の1について

御指摘のエイズに関する知見は、当時の医学文献等に示された知見に基づくものであり、当時の厚生省薬務局生物製剤課独自のものではない。

三の2及び3について

御指摘の研究班の人選において、血液及び血友病の権威が含まれているのは、血液又は血液製剤によるエイズの伝播の可能性が示唆されていたことによるものであると承知しており、当時の厚生省薬務局生物製剤課長によれば、血友病の専門家が班長となったのは、その者が研究班の中で年配者であったこと等によるものである。

三の4について

エイズ研究班の設置については、当該事業が厚生科学研究費補助金による事業として行われていたことから、厚生省薬務局長及び大臣官房会計課長の決裁を受けたものである。

三の5について

御指摘の研究班の予算は、厚生科学研究費補助金としてエイズ研究班班長安部英氏に対して交付されたものであり、委員に対する謝金等は同氏から各委員に対して支払われ、領収書等については同氏において五年間保存することとされていたものであり、これらについては確認できない。

三の6について

厚生省において、当時の薬務局生物製剤課の職員及び公衆衛生局保健情報課の職員であった者に対する事情聴取を行ったところ、御指摘の報道において放映された資料がエイズ研究班のものであるか否かについて画面から確認できた者はいなかった。

また、エイズ研究班の配付資料及び議事要旨については、先般厚生省においてその一部と思われる書類が発見されたところであり、現在その確認を行っているところである。

三の7について

厚生省において、御指摘のエイズ研究班の構成員であった者全員に対する事情聴取を行ったところ、エイズ研究班の資料を保有している者はいなかったが、御指摘の報道において放映された資料がエイズ研究班のものであると記憶している者がいたところである。

三の8について

御指摘のエイズ研究班は、エイズの対策の前提となる医学的知見を得るため、日本におけるエイズ患者の実態把握に関する研究、エイズ診断基準の設定に関する研究及び血液製剤に関する研究の三点を課題とする学術的な研究報告を目的として設置されたものである。

四の1について

エイズ研究班には、血液製剤小委員会及びエイズ診断基準小委員会が設置された。

四の2について

血液製剤小委員会は、昭和五十八年八月十九日に設置され、同年九月十四日、同年十月五日及び昭和五十九年一月十一日に会合を開催したと承知している。

四の3について

厚生省において、当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったところ、エイズ研究班においては血液製剤に関する研究が課題とされていたため、血液製剤小委員会を設けて検討することとされたところである。同小委員会の設置については、事前に予算措置を講ずる段階から同課において検討されていたところであるが、最終的にはエイズ研究班の判断によるものである。

四の4について

御指摘の血液製剤小委員会の構成員は、風間睦美帝京大学医学部教授(当時。委員長)、神谷忠名古屋大学医学部講師(当時)、斎藤英彦佐賀医科大学教授(当時)、徳永栄一日本赤十字社中央血液センター所長(当時)、長尾大神奈川県立こども医療センター小児科部長(当時)、福井弘奈良県立医科大学教授(当時)、藤巻道男東京医科大学教授(当時)、森和夫東北大学医学部講師(当時)、安田純一国立予防衛生研究所血液製剤部長(当時)、矢田純一東京医科歯科大学教授(当時)、山田兼雄聖マリアンナ医科大学教授(当時)であり、当時の同小委員会委員長が、当時のエイズに関する医学的知見を踏まえ、血液製剤が不可欠である血友病治療にかかわる問題を検討する観点から、免疫、血液製剤及び血液事業の専門家を選考したものである。

四の5について

厚生省において、当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったが、当時の同課長及び同課の課長補佐が出席したことがあると記憶していた。

四の6について

血液製剤小委員会は、学術的な研究成果の報告を目的とするものであり、議事録の作成及び資料の管理等運営に関する事項は基本的に同小委員会にゆだねられていたものである。厚生省において、当時の薬務局生物製剤課の職員及び同小委員会の構成員であった者全員に対し事情聴取を行ったが、御指摘の議事録については作成されていなかったと聞いているところである。また、厚生省は、当時の同小委員会の構成員であった者から同小委員会に関連すると考えられる学術文献等の写しの提供を受けているところであり、それらが御指摘の配付資料及び議事メモに該当するか否かについては、これまでのところ確認できていない。

四の7について

血液製剤小委員会は、当時の同小委員会委員長に確認したところによれば、昭和五十九年三月に報告書をエイズ研究班に提供したとのことであった。

四の8について

御指摘の報告書には、御指摘の記載がある。

五の1について

昭和五十八年における中央薬事審議会の会長及び委員の氏名及び当時の役職は、次のとおりである。

阿部 達夫  済生会横浜市南部病院長(昭和五十八年十一月一日から)

阿部 正和  東京慈恵会医科大学教授

伊藤 宗元  国立東京第二病院副院長(昭和五十八年十月三十一日まで)

稲田  豊  東京大学医学部教授

井上 哲男  日本公定書協会事務局長(昭和五十八年十月三十一日まで)

上田  泰  東京慈恵会医科大学名誉教授

内山  充  国立衛生試験所食品部長(昭和五十八年十一月一日から)

梅澤  修  昭和大学医学部附属病院薬剤部長(昭和五十八年十一月一日から)

梅沢 浜夫  財団法人微生物化学研究所長(昭和五十八年十月三十一日まで)

浦川 紀元  東京大学農学部教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

江草 周三  日本獣医畜産大学教授

江島  昭  国立衛生試験所薬品部長(昭和五十八年十月十二日まで)

大島 正光  財団法人医療情報システム開発センター理事長

大野 雅二  東京大学薬学部教授(昭和五十八年十一月一日から)

大森 義仁  国立衛生試験所安全性生物試験研究センター長(昭和五十八年十月三十一日まで)

奥田 重信  東京大学応用微生物研究所教授

織田 敏次  国立病院医療センター院長(昭和五十八年十月三十一日まで)

樫田 義彦  放射線医学総合研究所特別研究員

加藤 威二  環境衛生金融公庫理事長

加藤 正明  国立精神衛生研究所長

加藤 隆一  慶応義塾大学医学部教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

金井 興美  国立予防衛生研究所副所長(昭和五十八年十一月一日から)

金子 義徳  東邦大学医学部教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

金久保好男  千葉大学医学部教授・薬剤部長(昭和五十八年二月一日から)

川村 次良  国立衛生試験所生物化学部長(昭和五十八年十月三十一日まで)

北川 晴雄  千葉大学薬学部教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

木村三生夫  東海大学医学部教授

幸保 文治  日本大学医学部附属板橋病院薬剤部長(昭和五十八年十月三十一日まで)

小酒井 望  順天堂大学医学部附属順天堂浦安病院長(昭和五十八年十一月一日から)

小林  登  東京大学医学部教授

小宮 正文  筑波大学臨床医学系教授

小山 善之  国立病院医療センター名誉院長

斉藤 達雄  財団法人癌研究会附属病院副院長

斉藤 太郎  前関東逓信病院薬剤部長(昭和五十八年一月三十一日まで)

鴫谷 亮一  東海大学医学部教授

宍戸  亮  国立予防衛生研究所長(昭和五十八年十月二十四日まで)

鎮目 和夫  東京女子医科大学教授(昭和五十八年十一月一日から)

柴田 重孝  麻布大学環境保健学部教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

清水 武彦  麻布大学獣医学部教授(昭和五十八年十一月一日から)

下村  孟  会長国立衛生試験所長(昭和五十八年十月二十四日まで)

白須 泰彦  財団法人残留農薬研究所毒性部長

末舛 恵一  国立がんセンター病院副院長

鈴木 郁生  国立衛生試験所副所長(昭和五十八年十月二十四日まで)

瀬崎  仁  京都大学薬学部教授

高畠 英伍  国立公衆衛生院衛生薬学部長

田代 有嗣  日本大学法学部教授

辰野  高  理化学研究所主任研究員(昭和五十八年二月一日から)

田中 信男  東京大学応用微生物研究所教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

谷村 顕雄  国立衛生試験所食品添加物部長(昭和五十八年十一月一日から)

鶴藤  丞  東北大学薬学部教授

内藤 周幸  東京逓信病院内科部長

名尾 良憲  東京都教職員互助会三楽病院名誉顧問

中谷林太郎  東京医科歯科大学医学部教授(昭和五十八年十一月一日から)

名取 信策  明治薬科大学教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

難波 桂芳  東京大学工学部名誉教授

南原 利夫  東北大学薬学部教授(昭和五十八年十一月一日から)

新國 俊彦  日本大学歯学部名誉教授

新島 端夫  東京大学医学部教授

西村 正雄  東京歯科大学教授(昭和五十八年十一月一日から)

野島 庄七  東京大学薬学部教授

野田 亮二  日本大学農獣医学部教授

長谷川弥人  慶応義塾大学医学部客員教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

籏野  倫  国立東京第二病院長

林  裕造  国立衛生試験所安全性生物試験研究センター病理部長(昭和五十八年十一月一日から)

吐山 豊秋  東京農工大学農学部教授(昭和五十八年十一月一日から)

原田 正敏  国立衛生試験所生薬部長(昭和五十八年十一月一日から)

春見 建一  昭和大学医学部教授(昭和五十八年十一月一日から)

福田 英臣  東京大学薬学部教授(昭和五十八年十一月一日から)

藤井 良知  帝京大学医学部教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

藤巻 道男  東京医科大学教授(昭和五十八年十一月一日から)

藤森 一平  川崎亜立川崎病院長

本間 光夫  慶応義塾大学医学部教授

前田 謙二  財団法人微生物化学研究所副所長(昭和五十八年十一月一日から)

真下 啓明  東京厚生年金病院長

村田 敏郎  会長(昭和五十八年十一月七日から)静岡薬科大学長

本橋 信夫  前医薬品副作用被害救済基金理事(昭和五十八年一月三十一日まで)

安田 純一  国立予防衛生研究所血液製剤部長(昭和五十八年十一月一日から)

吉本 與一  明治薬科大学客員教授(昭和五十八年十一月一日から)

五の2について

御指摘の時期において、中央薬事審議会には御指摘の血液製剤特別部会、血液製剤調査会及び副作用調査会が設置されていた。

五の3について

御指摘の血液製剤特別部会の部会長及び部会員の氏名及び当時の役職は、次のとおりである。

大沢 利昭  東京大学薬学部教授

多田 富雄  東京大学医学部教授

鶴藤  丞  東北大学薬学部教授

遠山  博  東京大学医学部助教授

徳永 栄一  日本赤十字社中央血液センター所長(昭和五十八年十月三十一日まで)

中尾  真  東京医科歯科大学医学部教授

西岡久壽彌  東京都臨床医学総合研究所副所長

長谷川弥人  慶応義塾大学医学部客員教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

藤井 良知  部会長帝京大学医学部教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

藤巻 道男  東京医科大学教授(昭和五十八年十一月一日から)

松村 義寛  女子栄養大学教授(昭和五十八年十一月二十日まで)

安田 純一  部会長(昭和五十八年十一月七日から)国立予防衛生研究所血液製剤部長

山中  學  東京大学医学部教授(昭和五十八年十一月二十一日から)

御指摘の血液製剤調査会の構成員は、次のとおりである。

赤真 清人  国立予防衛生研究所一般検定部長

赤松  穰  国立予防衛生研究所化学部長

天木 一太  日本大学医学部教授

河合  忠  自治医科大学教授

風間 睦美  帝京大学医学部教授(昭和五十九年十一月一日から)

北濱 睦夫  聖マリアンナ医科大学教授

清水  勝  東京都立駒込病院専門副参事

十字 猛夫  東京女子医科大学教授

鈴田 達男  東京医科大学教授

遠山  博  東京大学医学部助教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

中村  弘  産業医科大学医学部教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

長谷川 博  国立がんセンター研究所血清部長

福岡 良男  東京文化医学技術専門学校長(昭和五十八年十月三十一日まで)

藤井 良知  帝京大学医学部教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

藤巻 道男  東京医科大学教授(昭和五十八年十月三十一日まで)

真弓  忠  自治医科大学教授

桃井 宏直  東京医科歯科大学医学部教授(昭和五十八年九月三十日まで)

安田 純一  国立予防衛生研究所血液製剤部長

山中  學  東京大学医学部教授

湯浅 晋治  順天堂大学助教授

五の4について

御指摘の時期における血液製剤特別部会の開催は、昭和五十八年三月十日、同年七月二十日、昭和五十九年四月二十六日及び同年八月七日の四回であり、血液製剤調査会の開催は、昭和五十八年四月二十八日、昭和五十九年二月一日、同月二十九日、同年三月三十日、同年六月二十一日、同年七月二十四日、同年八月三十一日、同年九月十一日、同月二十八日、同年十月十七日、同年十一月二日、同月三十日及び同年十二月二十六日の十三回であり、副作用調査会の開催は、昭和五十八年一月二十八日、同年二月二十五日、同年三月十八日、同年五月十三日、同年六月十日、同年七月二十二日、同年九月十六日、同年十月二十一日、同年十一月二十五日、同年十二月二十三日、昭和五十九年二月三日、同月二十九日、同年三月二十三日、同年五月十一日、同年六月十五日、同年七月二十日、同年八月三十一日、同年十月五日、同年十一月十六日及び同年十二月二十一日の二十回である。

五の5について

御指摘の議事要旨については、昭和五十八年三月十日に開催された血液製剤特別部会のものを除き保存されているが、これらについては委員の自由な発言を保障するとともに、個人の秘密及び企業秘密を保護する観点から非公開としているものである。

五の6について

厚生省において、昭和五十八年当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったが、御指摘の件について記憶している者はいなかった。また、中央薬事審議会血液製剤特別部会及び血液製剤調査会の議事要旨の調査をしたが、御指摘の件について記載はない。

六の1について

厚生省において、当時の薬務局生物製剤課及び公衆衛生局保健情報課の職員並びにエイズ研究班の構成員であった者全員に対する事情聴取を行ったところ、御指摘の会合に出席したことを記憶している者は、当時の生物製剤課長、生物製剤課の課長補佐二名、保健情報課の課長補佐二名及びエイズ研究班の構成員であった者二名である。なお、御指摘の保健情報課長は御指摘の会合には出席していない。

当該会合に、スピラ氏の他に外国人が出席していたことを記憶している者はいたが、その外国人が御指摘のローレンス氏であると記憶している者はいなかった。

なお、御指摘のローレンス氏が当該会合に出席していたか否かについては、現在、厚生省において、在外公館を通じて本人に確認中である。

六の2について

御指摘のCDCの診断基準は、千九百八十二年九月二十四日付けCDC週報に掲載されたものであり、「細胞性免疫欠損に進展することが中程度以上に(かなりの確度又はそれ以上に)予測できる病態で、この病態に対する抵抗力を低下させる既知の原因を何ら有していない者に発現するもの」とされている。

六の3について

御指摘の症例については、エイズ研究班の報告書には、肝機能障害及び黄疸を指摘され、昭和五十七年十月ごろから一日二十ミリグラムのステロイド剤の投与を受けたこと及び一度中断の後同剤の投与を再開した際に、一日六十ミリグラムの投与を受けたことが記載されている。

六の4について

昭和五十九年九月に厚生省保健医療局に設置されたAIDS調査検討委員会で検討された症例の中に、ステロイド剤が投与された事例で同委員会においてエイズとはされなかったものが二例あると承知している。

六の5について

当該症例におけるステロイド剤の投与量は、当該ステロイド剤に係る薬事法(昭和三十五年法律第百四十五号)第十四条第一項に基づく承認の際に定められた用量の範囲内であり、御指摘の問題はない。

六の6について

御指摘の症例については、カリニ肺炎などの典型的なエイズ症状がなく、ステロイド剤の使用による免疫低下である可能性も否定できないことから、エイズ研究班においてエイズの疑似症例であると考えられていたと承知しているが、これは昭和五十八年当時の医学等の知見に照らした判断であると考えている。

六の7について

昭和五十九年十二月二十八日に新潟県から二通の調査票が提出された。

六の8について

御指摘の調査票は、昭和六十年二月二十二日に東京都から提出された。

六の9について

昭和六十年二月二十二日から同年四月二日までの間に、東京都から他の調査票は提出されなかった。

六の10について

厚生省において、当時の保健情報課の職員に対する事情聴取を行い、及び東京都において当時の担当職員に対する事情聴取を行ったところ、調査票の提出について事前の協議はなかった。

六の11について

御指摘のAIDS調査検討委員会は、昭和五十九年九月二十日に設置され、厚生省保健医療局感染症対策課において事務を行っていた。

同委員会の昭和五十九年度の委員は、塩川優一順天堂大学名誉教授(当時)、池田重雄埼玉医科大学教授(当時)、北村敬国立予防衛生研究所外来性ウイルス室長(当時)、島田馨東京大学医科学研究所感染症研究部長(当時)、多田富雄東京大学医学部教授(当時)、西岡久壽彌東京都臨床医学総合研究所副所長(当時)、日沼頼夫京都大学ウイルス研究所教授(当時)、宮本昭正東京大学医学部教授(当時)、村瀬敏郎日本医師会常任理事(当時)、山本二郎財団法人ガン研究振興財団理事(当時)及び吉田幸雄京都府立医科大学教授(当時)である。

昭和六十年度の委員は、山本二郎委員を除き、藤巻道男東京医科大学教授(当時)及び山田兼雄聖マリアンナ医科大学教授(当時)を加えるほか、昭和五十九年度の委員と同じである。

昭和六十一年度の委員は、池田重雄委員を除き、栗村敬鳥取大学医学部教授(当時)を加えるほか、昭和六十年度の委員と同じである。

同委員会の開催は、昭和五十九年九月二十八日、同年十一月二十九日、昭和六十年二月二十一日、同年三月二十二日、同年五月三十日、同年七月十日、同年十月二十二日、昭和六十一年一月三十一日、同年四月三日、同年六月十二日及び同年九月二十六日の十一回であり、同委員会は昭和六十一年十二月にエイズサーベイランス委員会に改組され、今日に至っている。

七について

御指摘の新聞報道については、現在、厚生省において、在外公館を通じて御指摘のローレンス氏本人に確認中である。

八の1について

御指摘の説明会は、昭和五十八年十一月十日、当時の厚生省薬務局生物製剤課が、加熱血液凝固因子製剤の開発を行っていた製薬企業を対象に、当該製剤についての薬事法第十四条第一項の承認申請に対する審査方針として、少数の健康人を対象とするいわゆる第一相試験を省略するとともに、臨床試験の症例数を必要最小限とすることを周知するために開催したものである。

八の2について

厚生省において、当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったが、御指摘の件については、これまでのところ確認できていない。

八の3について

昭和五十九年から昭和六十一年までの間に加熱血液凝固因子製剤の臨床試験を行った製薬企業は、財団法人化学及血清療法研究所、カッター・ジャパン株式会社、日本製薬株式会社、日本臓器製薬株式会社、日本トラベノール株式会社(昭和六十年三月十一日にトラベノール株式会社と改称し、更に昭和六十一年九月一日にバクスター・トラベノール株式会社と改称した。)、ヘキストジャパン株式会社及び株式会社ミドリ十字の七社である。

八の4について

加熱血液凝固第VIII因子製剤の臨床試験は、日本トラベノール株式会社が昭和五十九年二月、カッター・ジャパン株式会社及びヘキストジャパン株式会社が同年三月、財団法人化学及血清療法研究所が同年五月、株式会社ミドリ十字が同年六月、日本臓器製薬株式会社が昭和六十年八月、日本製薬株式会社が昭和六十一年三月にそれぞれ開始しており、加熱血液凝固第双因子製剤の臨床試験は、カッター・ジャパン株式会社が昭和六十年六月、日本臓器製薬株式会社が同年八月、株式会社ミドリ十字が同年九月、財団法人化学及血清療法研究所及びトラベノール株式会社が同年十月、日本製薬株式会社が同年十二月にそれぞれ開始している。

八の5について

加熱血液凝固第VIII因子製剤に係る各社の臨床試験の担当医療機関及び医師は、次のとおりである。

加熱血液凝固第IX因子製剤に係る各社の臨床試験の担当医療機関及び医師は、次のとおりである。

八の6について

御指摘のような行為は、治験担当医師が公務員である場合を除けば法的に問題とすべき点はないと承知しており、また道義的に問題とすべき点があるか否かについては、寄附と当該治験の関連、財団と治験担当医師の関係等を具体的な事実に即して総合的に判断すべきものと考えている。

八の7について

厚生省において、当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったところ、昭和六十年の早い時期に加熱製剤の臨床試験を行っていた製薬企業に対して当該製剤の承認申請を早めるよう働きかけたことを記憶している者はいるが、その詳細については確認できない。

八の8について

加熱血液凝固第VIII因子製剤に係る各社の薬事法第十四条第一項に基づく承認申請年月日は、カッター・ジャパン株式会社については昭和六十年四月二十七日、トラベノール株式会社及びヘキストジャパン株式会社については同月三十日、財団法人化学及血清療法研究所については同年五月一日、株式会社ミドリ十字については同月三十日、日本臓器製薬株式会社については同年十一月六日、日本製薬株式会社については昭和六十一年三月三十一日であり、加熱血液凝固第以因子製剤に係る各社の同項に基づく承認申請年月日は、カッター・ジャパン株式会社については昭和六十年九月十三日、株式会社ミドリ十字については同年十月九日、財団法人化学及血清療法研究所については同年十一月五日、トラベノール株式会社については同月八日、日本臓器製薬株式会社については同月十八日、日本製薬株式会社については同年十二月二十六日である。

八の9について

当該加熱血液凝固第VIII因子製剤及び加熱血液凝固第IX因子製剤の薬事法第十四条第一項に基づく承認申請の審査は、中央薬事審議会血液製剤調査会で行われたものであり、当該審査を行った昭和六十年六月から昭和六十一年九月までの間の同調査会の構成員の氏名及び役職等は、次のとおりである。

赤真 清人  国立予防衛生研究所生物製剤管理部長

赤松  穰  国立予防衛生研究所化学部長

天木 一太  日本大学医学部教授(昭和六十一年三月三十一日まで)

風間 睦美  帝京大学医学部教授

河合  忠  自治医科大学教授

北濱 睦夫  聖マリアンナ医科大学教授

清水  勝  都立駒込病院専門副参事

十字 猛夫  東京女子医科大学教授

鈴木 達男  東京医科大学教授

長谷川 博  国立がんセンター病院外来部長

松橋  直  国立予防衛生研究所体液性免疫部長

真弓  忠  自治医科大学教授

山中  學  東京大学医学部教授

湯浅 晋治  順天堂大学医学部助教授

八の10について

各社の加熱血液凝固第VIII因子製剤に係る薬事法第十四条第一項の承認の年月日は、財団法人化学及血清療法研究所、カッター・ジャパン株式会社、トラベノール株式会社、ヘキストジャパン株式会社及び株式会社ミドリ十字については昭和六十年七月一日、日本臓器製薬株式会社については昭和六十一年三月一日、日本製薬株式会社については同年十一月十九日である。また、加熱血液凝固第IX因子製剤に係る同項の承認の年月日は、カッター・ジャパン株式会社については昭和六十年十二月九日、株式会社ミドリ十字については同月十七日、財団法人化学及血清療法研究所については昭和六十一年二月十日、トラベノール株式会社及び日本臓器製薬株式会社については同年四月二十三日であり、日本製薬株式会社については同年十一月十九日である。

八の11について

御指摘の点についての最近の事例としては、昭和六十一年五月及び同年十二月に臨床試験を開始した二種の貧血治療剤が平成二年一月二十三日に承認された例並びに平成三年四月及び平成四年一月に臨床試験を開始した二種の再生不良性貧血治療剤が平成七年九月二十九日に承認された例がある。

なお、加熱血液凝固第VIII因子製剤について各社に対する承認が同日に行われているのは、各社からの承認の申請時期が近接していたことから、承認の審査を審議する血液製剤調査会の開催日程の関係上、同日に審議されたことによるものである。

九の1について

加熱血液凝固因子製剤の供給が開始された昭和六十年八月当時、非加熱製剤とエイズの関係についての知見が徐々に蓄積される一方、血液凝固因子製剤は血友病治療に不可欠であり、当時の加熱製剤の供給状況からみて、非加熱製剤を一斉に回収することは患者の治療に重大な支障を来すと考えられる状況にあると認識していた。

九の2について

昭和六十年八月における厚生省薬務局生物製剤課長は、松村明仁氏であり、同課長の直接の上司である薬務局長は小林功典氏である。

九の3について

厚生省において、当時の薬務局長及び同局生物製剤課長に対する事情聴取を行ったが、御指摘の件について報告がなされたか否かについては確認できなかった。

九の4について

加熱製剤の供給が開始された昭和六十年八月当時、我が国における製薬企業の加熱製剤の供給能力は、必要量に比べて不十分であり、御指摘のクリオ製剤についても非加熱製剤が使用される以前と比較してその供給能力が激減していたため、加熱製剤の不足分の代替とすることは極めて困難であった。

また、血友病は、血液製剤による補充療法が行われなければ、生命にかかわる重篤な疾患であると認識している。

九の5について

御指摘の各社の非加熱血液凝固因子製剤の回収の状況については、昭和六十二年に厚生省が社団法人日本血液製剤協会を通じて製薬企業に対して行った調査結果の記載によれば、非加熱血液凝固第VIII因子製剤の回収終了年月日は、財団法人化学及血清療法研究所、カッター・ジャパン株式会社及び株式会社ミドリ十字については昭和六十年十月三十一日、バクスター・トラベノール株式会社については同年十一月二十八日、日本臓器製薬株式会社については同月三十日であり、非加熱血液凝固第双因子製剤の回収終了年月日は、カッター・ジャパン株式会社については昭和六十一年五月十三日、株式会社ミドリ十字については同月三十一日、日本臓器製薬株式会社については同年八月二十八日とされているところであるが、現在その確認を行っているところである。

なお、バクスター・トラベノール株式会社の非加熱血液凝固第以因子製剤については、エタノールで分画精製しておりエイズウイルスが不活化されていることが認められることから、回収していない。

十の1について

御質問の事項について、厚生省において、平成六年の医薬品の売上高が上位の二十社について調査したところ、昭和五十五年から平成七年までの間に、厚生省職員の経歴を有する社員数が最も多い会社は、株式会社ミドリ十字であり、当該社員数は五名である。

なお、調査をした二十社において、株式会社ミドリ十字と同程度の従業員数の製薬会社で、当該社員が四人のものが一社ある。

十の2について

御質問の事項について、厚生省において調査した結果によれば、次のとおりである。

社会保険大学校長で厚生省を退職した加藤信太郎氏は、昭和五十年十月に社団法人日本血液製剤協会理事長に就任している。

社会保険大学校長で厚生省を退職した河原輔之氏は、昭和五十六年二月に同協会理事長に就任している。

援護局長で厚生省を退職した實本博次氏は、昭和六十二年九月に同協会理事長に就任している。

大臣官房長で厚生省を退職した宮嶋剛氏は、平成元年十一月に同協会理事長に就任している。

薬務局麻薬課課長補佐で厚生省を退職した鬼武昭氏は、昭和五十年二月に同協会専務理事に就任している。

薬務局生物製剤課総務係長で厚生省を退職した日野慶雄氏は、昭和五十一年六月に同協会事務局長に就任している。

十一について

御指摘の点については、警察として、刑法(明治四十年法律第四十五号)等の法令に抵触する事実があるか否かに関し広範な情報収集を行っているが、現在までにそのような事実は把握していないところである。

衆議院の原文

この答弁書に出てくる定型句

お答えすることは困難 ×1承知していない ×1

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