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陵墓に指定された古墳の実態に関する質問主意書

衆議院 第171回 第611号お答えすることは困難 ×1趣旨が明らかではない ×1承知していない ×3

提出者
日本共産党
提出日
2009年6月29日
内閣転送 2009年7月1日
答弁書受領日
2009年7月6日
提出から7日
答弁の項目数
24
質問 4,953字/答弁 3,280字

質問本文

三世紀後半から六世紀末にかけ、日本各地で数多くの古墳が築かれた。古墳は、古代国家の成立と発展過程、古代文化の様相や東アジアにおける外交の実態などを解明する上で重要な資料であると同時に、国民共有の貴重な文化遺産でもある。しかしながら、巨大古墳の多くが宮内庁によって陵墓(陵墓参考地を含む、以下同じ)に指定され、皇室の先祖の安寧と静謐、静安と尊厳を守るという理由から学術目的であっても自由な立入りや現地の調査ができない状況にある。

よって、次のとおり質問する。

(一) 学術的に重要と考えられる古墳が陵墓として宮内庁に管理され、自由な学術調査の対象になっていない現状は、わが国のみならず東アジアの古代史解明のための障害となっているのではないか。

(二) 学術調査のため、陵墓に指定された古墳(以下、陵墓と略)に考古学的な手法によってトレンチを設定し墳丘の規模や築造の方法などを調査することは、皇室の安寧と静謐、静安と尊厳をそこなうことになるのか。

(三) 陵墓は皇室用財産として宮内庁が管理しているが、皇室はいつ、何世紀から始まっているものと考えているのか。

(四) 奈良県桜井市にある箸墓古墳は、初期ヤマト政権が成立した時期の最大級の前方後円墳で、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ではないかとも考えられ国民から強い関心を集めている。宮内庁によれば、箸墓古墳にはヤマトトトヒモモソヒメが葬られていることになっている。ヤマトトトヒモモソヒメは現在の皇室の先祖なのか。そうであれば、その根拠を明示されたい。

(五) 宮内庁によれば、ヤマトトトヒモモソヒメは考霊天皇の娘であるといわれている。考霊天皇は何世紀に存在した人物なのか。

(六) 宮内庁によれば、ヤマトトトヒモモソヒメの「ご命日」に当たる毎年九月一日に箸墓古墳の祭祀が行われている。ヤマトトトヒモモソヒメが亡くなったのはいつで、それはどのようにして明らかになったのか。箸墓古墳の祭祀は、誰が、どこで、どのように行っているのか。

また、箸墓古墳以外の陵墓でも祭祀が行われているが、誰が、いつ、どこで、どのように行っているのか。

(七) 陵墓の祭祀に要する経費は、皇室費予算の内廷費・宮廷費・皇族費のうち、どこから支出しているのか。また、過去十年間の陵墓の祭祀に要した年度別支出額はいくらか明らかにされたい。

(八) 宮内庁は「陵墓の立入りの取扱方針」を定め、その中で墳丘第一段上面テラスまでに限って陵墓への立入りを認めている。宮内庁の陵墓調査官であれば「陵墓の立入りの取扱方針」によらず、それより上段の墳頂部にものぼることが可能なのか。

(九) 宮内庁が陵墓として管理している古墳は、かつては自由に出入りができたものである。たとえば、一九二六年、帝室林野庁が作成した箸墓古墳の測量図には、墳丘くびれ部を斜めに走る線が表現されている。これは通路を表したもので、かつて地元の人たちに利用されていた生活用道路ではないのか。

また、現在の箸墓古墳の墳丘の周りには結界状の垣根が設けられているが、これはいつ、誰が、何の目的で設置したものか。

(十) 二〇〇八年、宮内庁と堺市は陵墓参考地・百舌鳥御廟山古墳の発掘調査を行った。調査現場は一般にも公開されたが、宮内庁の管理領域である陵墓参考地の部分に一般見学者を入れなかったのはなぜか。

(十一) 宮内庁は、この時の調査は宮内庁と堺市による「共同」調査ではなく、「同時」調査であると説明している。しかし、実際には調査のために設定したトレンチでは、宮内庁と堺市双方の調査員や作業員が、陵墓参考地の部分でも情報を交換しながら共同で調査を進めたのではないのか。トレンチの土層観察や実測は、共通の認識のもと共同で作業しなければ行うことができなかったのではないか。あわせて、双方のトレンチ配置の関係を分かり易く示されたい。

(十二) 堺市の大山古墳や羽曳野市の誉田御廟山古墳などでは、帝室林野庁作成の測量図でも過去の巨大地震の痕跡が認められると考えられている。これを詳細に調査・観察することは、都市防災の見地からも重要なものではないか。大山古墳と誉田御廟山古墳の精密な墳丘測量図を改めて作成するとともに、墳丘崩落状況などの調査を行うべきではないのか。

(十三) 大阪府茨木市の太田茶臼山古墳は宮内庁によって、継体天皇陵とされている。ところが出土する円筒埴輪によると太田茶臼山古墳の時期は五世紀半ばであり、継体天皇が存在した六世紀前半と合致しない。実際に継体天皇が葬られているのは、大阪府高槻市の今城塚古墳であるという考えが有力である。

奈良県天理市の西殿塚古墳は、宮内庁によって継体天皇の妃である手白香皇女の墓とされている。しかし、円筒埴輪の起源と考えられる特殊器台や特殊壺からみて、三世紀後半〜四世紀初めの古墳と考えられている。六世紀の継体天皇の時期に存命していた人物が、過去にさかのぼって葬られていることになる。

奈良県奈良市の市庭古墳は、宮内庁によって平安時代の平城天皇陵とされている。しかし、市庭古墳は奈良国立文化財研究所による平城宮調査の結果、八世紀初めの平城宮造営によって前方部を削平された五世紀代の巨大古墳であったことが明らかにされている。平安時代・九世紀初めの天皇が時間をさかのぼる五世紀の古墳に葬られ、八世紀初めの平城宮の工事によって破壊されていることになる。

太田茶臼山古墳、西殿塚古墳、市庭古墳の被葬者は誰であるのか判明しているのか。

また、考古学的にみて明らかに時代が正しくない陵墓について宮内庁はどういう見解をもっているのか。宮内庁の比定が考古学的見地から誤っている古墳は、宮内庁の管理から外して文化庁に移管すべきではないか。

(十四) 宮内庁が陵墓として管理している古墳は何基あるのか。そのうち、考古学的に被葬者が明らかになっているものがあれば示されたい。

また、被葬者を特定できない古墳をなぜ陵墓にすることができるのか、その根拠を示されたい。

(十五) 被葬者が特定できない古墳から出土した遺物を宮内庁が所蔵している根拠はどこにあるのか。

また、考古学の研究者が宮内庁所蔵の出土遺物を学術目的のため自由に観察し、実測などを行うことができる状況にあるのか。国民共有の財産である文化財としての出土遺物を宮内庁が所蔵することにより、歴史的資料、学術的資料としての活用に制約がかかっているのではないか。所有権を文化庁や出土した古墳のある地元に移管するのが適当ではないか。

(十六) 日本最大の前方後円墳で、宮内庁によって仁徳陵とされている大山古墳の築造時期は何世紀と考えられ、被葬者は明らかになっているのか。

(十七) 一八七二年、大山古墳の前方部から竪穴式石室に入った長持形石棺が現れ、甲冑、刀、ガラス容器などが出土したといわれる。この時に石室や石棺の学術的調査は行われたのか。学術的な再調査を行う必要があるのではないか。

また、甲冑やガラス容器などの遺物は現在、誰が所蔵しているのか。

(十八) アメリカのボストン美術館には、大山古墳から出土したと伝えられる細線式獣帯鏡、三環鈴、馬鐸、環頭太刀が所蔵されている。これら所蔵品の時期と出土状況、ボストン美術館が入手するに至った経緯を詳細に示されたい。

また、宮内庁が「大山古墳は仁徳天皇が葬られた古墳」と考えるのなら、ボストン美術館所蔵のこれらの考古遺物は、皇室用財産に該当しないのか。宮内庁は、ボストン美術館に対し返還を要求したことはあるか。

(十九) 大阪府藤井寺市の津堂城山古墳は、四世紀後半、河内地域に初めて築かれた巨大前方後円墳と考えられている。この古墳は後円部の一部だけが、藤井寺陵墓参考地という名前で宮内庁が管理している。墳丘全体が陵墓参考地でなく、今のような区域に設定された経緯を明らかにされたい。

(二十) 津堂城山古墳の被葬者は誰なのか明らかになっているのか。明らかでないのならば、竪穴式石室や石棺から出土した遺物を宮内庁が所蔵しているのはなぜか。宮内庁が所蔵するに至った経緯を含めて明らかにされたい。

(二十一) 津堂城山古墳の長持形石棺について、本年六月二十四日の衆議院内閣委員会で文化庁の高杉文化財部長は「長さ三・五メートル、幅一・五メートル、高さ二・一メートル」という数値を示したが、これは誰が、いつ実測したものか。

(二十二) 津堂城山古墳の長持形石棺について、高杉文化財部長は「史跡を構成する文化財の一つ」と答えている。津堂城山古墳の竪穴式石室は一九一二年に開口され、埋め戻されたものである。文化財であるにもかかわらず、陵墓参考地として国民の目に触れさせないのは不適当ではないか。

また、実際に竪穴式石室と長持形石棺を調査・観察できない現状は、学術研究の発展にとっても障害となっているのではないか。

(二十三) 津堂城山古墳の石棺の表面には朱が塗られ、石室も全面が朱塗りされていたといわれるが、正確な状況は判明しているのか。また、石棺からは大量の朱が出土しているといわれるが、大量の朱を副葬した目的は何であると考えられるか。

(二十四) 宮内庁が所蔵している大量の朱の量は正確にどれだけあり、どういう状況で保管されているのか。朱の科学分析を含めて調査結果を公に発表しているのか。

(二十五) 近年の調査によって津堂城山古墳には外濠・外堤が存在し、そのおおよその範囲も明らかになっている。それは、かねてから指摘されていた墳丘の外側の広大な周庭帯とよばれる領域と一致する。古墳とは、墳丘だけでなく築造時に造られた外側の周濠や堤までを含めてその範囲と考えるべきものであるが、津堂城山古墳の史跡指定範囲は墳丘と内濠の部分だけである。史跡の範囲を決定した根拠、経緯を明確に示されたい。

(二十六) 津堂城山古墳の史跡の範囲は、内堤・外濠・外堤が除外されており、考古学的調査の知見が反映されていないものである。ただちに範囲を確定して古墳全体を追加指定すべきではないか。それとも史跡から除外されている部分は文化財として価値がない、重要でないという認識なのか。

(二十七) 六月二十四日の内閣委員会で、誉田御廟山古墳の被葬者について高杉文化財部長は「学術的には確定していない」と答え、同古墳の外濠と外堤の発掘調査において「被葬者が判明する成果は得られていない」とも答えている。誉田御廟山古墳の外濠と外堤は「応神天皇陵古墳外濠外堤」という名称で国指定史跡に指定されているが、被葬者が不明である以上、史跡の名称は考古学的調査の成果を正しくふまえ「誉田御廟山古墳外濠外堤」と変更すべきではないか。

(二十八) 陵墓にされている古墳の中には墳丘だけが陵墓にされ、周りの周濠が陵墓の指定から外れているものがある。周濠部分も陵墓の対象にしているものと、周濠を陵墓の対象から外しているものがあるわけだが、こういう違いがあるのはなぜか。

あわせて、周濠を陵墓の対象から外している古墳の実例について、考古学上の名称・陵墓の名称・所在地を分かり易く示されたい。

(二十九) 調査の結果、これまで周濠がないと思われていた陵墓で、周濠の存在が確認されたり、周濠の外側でさらに周濠が検出され内濠と外濠の存在が確認されたりする事例が増えている。その結果、墳丘と内濠部分は原状に近い状態で保護されてきたが、地表下に埋まり存在が分からなかった外濠部分が開発によって破壊されている事例も増えている。文化庁も認めているとおり、周濠は墳丘と一体のものであり、周濠と墳丘とが一緒になって古墳である。地表から見えない周濠の部分も保護するために、その範囲を確定する調査を積極的に行うことが必要と考えるがどうか。

あわせて、巨大古墳が集中する奈良県の大和古墳群と佐紀古墳群、大阪府の百舌鳥・古市古墳群の陵墓のうち、�@周濠がないと思われていた古墳で周濠の存在が確認されたもの、�A新たに外濠の存在が確認されたものについて、考古学上の名称・陵墓の名称・所在地を分かり易く示されたい。

右質問する。

衆議院の原文・経過

政府答弁書

(一)及び(二)について

宮内庁としては、陵墓や陵墓参考地については、現に皇室において祭祀が継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっているので、静安と尊厳の保持が最も重要なことであると考えている。このため、御指摘のトレンチの設定を含め、部外者に陵墓を発掘させたり、立ち入らせたりすることは、厳に慎むべきことと考えているが、御指摘の「古代史解明のための障害」が生じないよう、学術研究上の要請にこたえるため、陵墓や陵墓参考地の本義に支障を及ぼさない限りにおいて、保全工事に伴う調査の際の見学の実施や調査結果の公表等に努めているところである。

(三)及び(五)について

宮内庁としては、古代の皇室の歴史については、歴史学者の間でも諸説あるものと承知している。

(四)について

「日本書紀」等によれば、倭迹迹日百襲姫命は孝霊天皇の皇女とされているものと承知している。

(六)について

倭迹迹日百襲姫命の薨去月日については、明確ではない。

また、宮内庁としては、御指摘の「箸墓古墳」を含め、陵墓においては、皇室により、関係者が参列の上、例祭、式年祭及び正辰祭の祭祀が行われているものと承知している。

(七)について

祭祀に要する経費は内廷費から支出している。内廷費については、御手元金として宮内庁の経理に属する公金とされていないため、その使途の具体的な内容については、お答えを差し控えたい。

なお、祭祀の前後に行われる陵墓の清掃等の経費については、宮廷費から陵墓の管理一般に属する費用として支出しており、当該経費のみを取り出して算出することは困難である。

(八)について

宮内庁の陵墓調査官は、陵墓の管理上、必要に応じて墳頂部へも立ち入ることがある。

(九)について

宮内庁としては、御指摘の測量図については承知しているが、当該測量図に示された「斜めに走る線」が「通路」又は「生活用道路」であったか否かは承知していない。

また、御指摘の「垣根」の設置時期等は確認できない。

(十)及び(十一)について

御指摘の調査は、御指摘の「百舌鳥御廟山古墳」の保全工事に先立ち、宮内庁が調査を計画し、堺市に連絡したところ、堺市も時期を合わせて宮内庁の管理地外である周濠部分の調査を行うこととなったものである。

また、宮内庁としては、堺市による調査現場の一般公開は、堺市の調査現場を公開したものであると考えているが、宮内庁の調査現場の一般公開は行っていない。

トレンチについては、墳丘裾部に多数設定されたが、その詳細については、今年度末を目途に「書陵部紀要」において公表する予定である。

(十二)について

お尋ねについては、国又は地方公共団体から、都市防災上の観点により必要不可欠かつ緊急性のある陵墓立入調査の要請があれば、静安と尊厳を損なわないよう配慮しつつ、検討することもあり得る。

また、各陵墓の測量図の作成については、年次計画を立案し、順次実施中である。

(十三)について

御指摘の「太田茶臼山古墳」、「西殿塚古墳」及び「市庭古墳」は、それぞれ第二十六代継体天皇三嶋藍野陵、同皇后手白香皇女衾田陵及び第五十一代平城天皇楊梅陵として治定している。

宮内庁としては、陵墓の治定を覆すに足る陵誌銘等の確実な資料が発見されない限り、現在のものを維持していく所存である。

(十四)について

宮内庁が古代高塚式の陵墓又は陵墓参考地として管理しているものは、百二十一である。

また、お尋ねの趣旨が必ずしも明らかではないが、陵墓については、宮内庁として被葬者を治定しており、被葬者を特定するだけの確たる史料が得られていないが、文献等から皇室関係者が埋葬されていると考えられるものについては、陵墓参考地としている。

(十五)について

宮内庁においては、陵墓に関する調査・考証のため、必要な遺物を所蔵している。

これらの所蔵品については、学術研究上の要請にこたえるため、宮内庁内での展示、博物館等への貸出し、研究者の調査受入れ等に努めており、文化庁や地方公共団体に管理させることは考えていない。

(十六)について

宮内庁としては、御指摘の「大山古墳」の築造年代については、諸説あるものと承知している。

御指摘の「大山古墳」は、第十六代仁徳天皇百舌鳥耳原中陵として治定されている。

(十七)について

明治五年当時に御指摘の「大山古墳」について学術的な調査が行われたかどうかは不明である。

また、御指摘の「大山古墳」等の陵墓に対する学術的な調査については、現に皇室において祭祀が継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっており、国民感情にも配慮する必要があるという事情を踏まえて検討すべきものと考えている。

また、御指摘の「甲冑やガラス容器など」の所蔵については、承知していない。

(十八)について

宮内庁としては、ボストン美術館に所蔵されている御指摘の「大山古墳から出土したと伝えられる」遺物は、その来歴についての異説があるものと承知している。

(十九)及び(二十)について

御指摘の「津堂城山古墳」については、大正五年に歴代皇后等の陵墓の可能性があるとして、陵墓参考地とされているが、御指摘の「今のような区域に設定された経緯」は不明であり、出土品については、宮内省時代から引き続き管理しているものである。

(二十一)について

御指摘の長持形石棺の大きさについては、「図説日本の史跡」(文化庁文化財保護部史跡研究会監修)に掲載されている記述に基づきお答えしたものである。

(二十二)について

文化庁としては、御指摘の石室及び石棺については、これを十分に保存するためには現状のままとすることが適当であると考える。

また、当該石室及び石棺については、発見当時に学術調査が行われ、これまで学会誌等で公表され、活用が可能な状況となっているものと承知しており、御指摘は当たらないと考えている。

(二十三)について

御指摘の「津堂城山古墳」から出土した朱については、宮内庁で所蔵しているが、具体的な出土状況や大量の朱を副葬した目的については、明らかではない。

(二十四)について

御指摘の「津堂城山古墳」から出土した朱は約十三リットルであり、書陵部庁舎の専用収蔵庫の木箱に収めて保管しているが、朱の科学分析を行ったことはない。

(二十五)及び(二十六)について

御指摘の「津堂城山古墳」の史跡指定については、昭和三十一年三月二十七日の文化財保護審議会答申を受けて、昭和三十三年一月二十一日に告示されたものであるが、史跡指定範囲については、範囲を決定した根拠に関する資料が残っておらず、当時の状況は不明である。

史跡に指定されていない内堤及び外濠・外堤に想定される部分については、大阪府教育委員会や藤井寺市教育委員会が開発行為に伴う事前の発掘調査を実施しているところであり、文化庁としては、今後、これらの調査結果を踏まえて、土地所有者等の財産権に配慮しつつ、史跡への追加指定について検討すべきものと考える。

(二十七)について

史跡の名称については、地域で親しまれている名称など、当該史跡を最も適切に指すものを名称としており、文化庁としては、御指摘の史跡の名称を変更する必要はないと考える。

(二十八)について

陵墓及び陵墓参考地の範囲については、それぞれの歴史的経緯があり、現在のようになったものである。

また、周濠が範囲から外れている陵墓の例はないが、陵墓参考地については、土師ニサンザイ古墳(東百舌鳥陵墓参考地・大阪府堺市)、百舌鳥御廟山古墳(百舌鳥陵墓参考地・大阪府堺市)、ウワナベ古墳(宇和奈辺陵墓参考地・奈良県奈良市)、コナベ古墳(小奈辺陵墓参考地・奈良県奈良市)等の例がある。

(二十九)について

文化庁としては、周濠部分も含めて、埋蔵文化財の調査については、文化財保護の観点から地方公共団体により適切な措置が採られるものと考えている。

なお、お尋ねの陵墓については、把握していない。

衆議院の原文

この答弁書に出てくる定型句

お答えすることは困難 ×1趣旨が明らかではない ×1承知していない ×3

語の一致で数えたものです。答弁の評価ではありません。同じ型の答弁が過去にどれだけあるかは、型を押すと出ます。

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