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陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問主意書

衆議院 第175回 第38号趣旨が明らかではない ×1

提出者
日本共産党
提出日
2010年8月4日
内閣転送 2010年8月6日
答弁書受領日
2010年8月20日
提出から16日
答弁の項目数
12
質問 4,210字/答弁 6,212字

質問本文

皇室の先祖や皇室関係者が葬られているという理由で、戦前に陵墓(陵墓参考地を含む。以下、この質問において陵墓と略)に治定し、現在も宮内庁が管理している古墳が多数ある。陵墓では皇室によって式年祭等の祭祀が行われているが、皇室の私的な祭祀に宮内庁職員やそれ以外の国家公務員と地方公務員も参列している。具体例として本年二月十三日の大阪府堺市の田出井山古墳(宮内庁によれば反正天皇陵)と、本年四月一日の大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳(同じく応神天皇陵)での式年祭を取り上げた。これについて本年六月十四日に提出した質問主意書で、憲法が定めた政教分離の原則との関係を問うたが、これに対する答弁書は「国家公務員の参列については儀礼的なもので憲法上の問題があるとは考えていない」、「地方公務員の参列については答弁する立場にない」旨のものであった。

よって、次のとおり質問する。

(一) 宮内庁によれば、「陵墓における祭祀は、皇室の伝統に基づくものとして古くから行われているもの」とあるが(二〇〇九年七月十七日閣議決定の答弁書)、「古くから」とは具体的にいつからか。また、今に至るまですべての古墳時代の陵墓で、祭祀は途切れることなく連綿と続けられてきたのか。証拠を示して明らかにされたい。

(二) 宮内庁は、箸墓古墳には孝霊天皇の娘であるヤマトトトヒモモソヒメが葬られていると定め、「大市墓」という名前の陵墓として管理している。宮内庁は、孝霊天皇の皇女であるヤマトトトヒモモソヒメの没年や箸墓古墳の築造年代については、日本書紀に記述がないという。ヤマトトトヒモモソヒメの父である孝霊天皇が葬られたのは日本書紀による孝元天皇六年で、それは紀元前二〇九年に相当するという見解を示している(二〇一〇年六月二十二日閣議決定の答弁書)。一方で文化庁は、箸墓古墳の築造時期について三世紀の中頃から後半と考えられるという見解を述べている(二〇〇九年二月二十日、衆議院予算委員会第四分科会)。

これは、孝霊天皇は紀元前二〇九年に死没し、その娘であるヤマトトトヒモモソヒメは箸墓古墳が築かれる三世紀半ばから後半まで、四百年から五百年近く生存していたことを意味しているのか。

(三) 宮内庁は「陵墓や陵墓参考地については、現に皇室において祭祀が継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっているので、静安と尊厳の保持が最も重要なことである」(二〇〇九年七月六日閣議決定の答弁書)と示しているが、「祭祀が継続して行われ追慕尊崇の対象なので、静安と尊厳の保持が最も重要である」と考える理由を分かりやすく答えられたい。

(四) 文化庁によれば、「古墳の被葬者が発掘調査で判明することは非常にまれ」という見解である(二〇〇九年六月二十四日、衆議院内閣委員会)。宮内庁が「古代高塚式の陵墓又は陵墓参考地」として管理している百二十一の古墳の各々について、そこに皇室の先祖が葬られていることの証拠を明示されたい。

(五) 宮内庁が「古代高塚式の陵墓又は陵墓参考地」として管理している百二十一の古墳の各々について、陵墓の名称・考古学上の名称・被葬者名(ルビ付)・所在地・治定年月日(西暦による)を分かりやすく示されたい。

(六) 陵墓の環境の静安と被葬者の尊厳の保持と、陵墓の墳丘最下段テラスよりも上に登る学術調査とは、学術調査がいかなる内容のものでも両立することができないという考えか。

(七) 宮内庁職員であれば、管理のために陵墓の墳丘最下段テラスよりも上に登っても静安と尊厳を保持することができ、宮内庁職員でなければ、墳丘最下段テラスよりも上に登って墳丘表面の観察をするだけでも静安と尊厳の保持ができないという明確な理由を、それぞれ示されたい。

(八) 宮内庁職員が陵墓の墳丘最下段テラスよりも上に登る場合は、どういう手続きを経ているのか。また、登る場合には何らかの祭祀を行っているのか。

(九) 宮内庁が提出した資料によれば、堺市の田出井山古墳(宮内庁によれば反正天皇陵)と羽曳野市の誉田御廟山古墳(同じく応神天皇陵)での式年祭の次第について次のようにある。

午前九時三十分、陵所を装飾する。

同 十時、勅使が参進して本位に就く。

次に神饌を供する。

この間、楽を奏する。

次に掌典が祝詞を奏する。

次に幣物を供する。

次に勅使が拝礼の上、御祭文を奏する。

次に幣物及び神饌を撤する。

この間、楽を奏する。

次に各退下する。

〇

皇族、公務員、有位者及び有勲者並びに縁故者、門跡寺院の住職及び尼門跡寺院の住職が参列する場合は、勅使参進の前に着床し、御祭文奏上の後に拝礼する。

宮内庁によれば、陵墓における祭祀が神道の形式によるものか否かを答えることは困難である(二〇〇九年七月十七日閣議決定の答弁書)とのことだが、陵墓の拝所には鳥居が置かれている。また、陵墓の式年祭では次第のように、神饌を供し、掌典が祝詞を奏し、幣物を供する。鳥居の設置やこれらの行為と神道とは、どういう関係があるのか。全く関係がないのか。

(十) 「陵所を装飾する」、「神饌を供する」、「楽を奏する」、「幣物を供する」、「幣物及び神饌を撤する」主体はそれぞれ誰か。

(十一) 勅使、掌典、「陵所を装飾する」者、「神饌を供する」者、「楽を奏する」者、「幣物を供する」者、「幣物及び神饌を撤する」者は、それぞれ公務員か否か。公務員でなければ、どういう立場の者か。

(十二) 鳥居を含めた陵墓の拝所は国有財産か。その管理は誰が行っているのか。

(十三) 本年六月二十二日閣議決定の答弁書では「国家公務員による参列は、陵墓において皇室が祖先を弔う目的で行う行事に際し、平素から陵墓の管理等に携わる者が儀礼的に行ったものであり、憲法上の問題があるとは考えていない」とあるが、「管理等」の「等」とは何を示しているのか。その内容を具体的に明らかにされたい。

(十四) 儀礼的であれば、皇室の宗教的行為である祭祀に参列しても憲法上の問題がないのか。儀礼的なものと、そうでないものとの違いはどこにあるのか。明確に答えられたい。

(十五) 田出井山古墳と誉田御廟山古墳での国家公務員の式年祭への参列が、儀礼的であったという根拠を明示されたい。

(十六) 本年六月二十二日閣議決定の答弁書では「地方公務員による参列については、お答えする立場にない」とあるが、なぜ答える立場にないのか。答える立場にある者は誰か。

(十七) 宮内庁が提出した資料によれば、田出井山古墳での「反正天皇の千六百年式年祭」と誉田御廟山古墳での「応神天皇の千七百年式年祭」について、以下に掲げる公務員に対し、宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所長名で「反正天皇山陵千六百年式年祭の儀」と「応神天皇山陵千七百年式年祭の儀」の執行と参列の案内を送っている。これらの公務員を送り先として選んだ基準や根拠は何で、誰が選んだのか。

〔反正天皇の千六百年式年祭〕

大阪地方裁判所所長  大阪家庭裁判所所長  大阪地方検察庁検事正  大阪地方検察庁事務局長大阪地方検察庁堺支部長  大阪法務局堺支局長  国土交通省近畿地方整備局局長  国土交通省近畿整備局河川部長  国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所長  大阪府知事  大阪府府議会議長  大阪府府議会副議長  大阪府教育委員会委員長  大阪府教育長  大阪府警本部本部長  大阪府堺警察署署長  大阪府鳳土木事務所所長  大阪府立三国ヶ丘高等学校校長  堺市長  堺市市議会議長  堺市市議会副議長  堺市副市長  堺市教育委員会委員長  堺市教育長  堺市博物館長  堺市市長公室室長  堺市市長公室理事  堺市建築局長  堺市消防局長  堺市堺消防署署長  堺区長  堺市立三国ヶ丘小学校校長  堺市立三国ヶ丘中学校校長 宮内庁京都事務所所長  宮内庁京都事務所次長  宮内庁京都事務所庶務課長  宮内庁京都事務所管理課長  宮内庁京都事務所工務課長  宮内庁京都事務所林園課長  宮内庁正倉院事務所所長  宮内庁正倉院事務所庶務課長  宮内庁正倉院事務所保存課長  桃山陵墓監区事務所所長 桃山陵墓監区事務所職員代表  畝傍陵墓監区事務所所長  畝傍陵墓監区事務所職員代表  月輪陵墓監区事務所所長  月輪陵墓監区事務所職員代表  皇宮警察京都護衛署署長  皇宮警察京都護衛署副署長  宮内庁次長  書陵部代表

〔応神天皇の千七百年式年祭〕

大阪地方裁判所所長  大阪家庭裁判所所長  大阪地方検察庁検事正  大阪地方検察庁事務局長大阪地方検察庁堺支部長  羽曳野区検察庁副検事  大阪法務局富田林支局長  国土交通省近畿整備局長  国土交通省近畿整備局河川部長  国土交通省近畿整備局大和川河川事務所長  大阪府知事  大阪府府議会議長  大阪府府議会副議長  大阪府教育委員長  大阪府教育長  大阪府警察本部長  羽曳野警察署長  大阪府富田林土木事務所長  羽曳野市長  羽曳野市議会議長  羽曳野市議会副議長  羽曳野市副市長  羽曳野市教育委員長  羽曳野市教育長  羽曳野市市長公室長  柏原羽曳野藤井寺消防組合消防局長  羽曳野市立古市小学校長  羽曳野市立誉田中学校長  宮内庁京都事務所所長  宮内庁京都事務所次長  宮内庁京都事務所庶務課長宮内庁京都事務所管理課長  宮内庁京都事務所工務課長  宮内庁京都事務所林園課長  宮内庁正倉院事務所所長  宮内庁正倉院事務所庶務課長  宮内庁正倉院事務所保存課長  桃山陵墓監区事務所所長  桃山陵墓監区事務所職員代表  畝傍陵墓監区事務所所長  畝傍陵墓監区事務所職員代表  月輪陵墓監区事務所所長  月輪陵墓監区事務所職員代表  皇宮警察京都護衛署署長皇宮警察京都護衛署副署長  宮内庁次長  書陵部代表

(十八) これら祭祀(式年祭)の執行と参列の案内を送った相手は、平素から陵墓の管理等に具体的にどのように携わっているのか。各々について具体的に答えられたい。

(十九) 皇室による陵墓の祭祀について、皇室以外の公務員に対し、なぜ祭祀の執行と参列の案内を送る必要があるのか。また、案内送付の決裁は誰が行ったのか。

右質問する。

衆議院の原文・経過

政府答弁書

(一)について

お尋ねの「古墳時代の陵墓」とは、古代高塚式の陵墓及び陵墓参考地を指すと考えられるが、これらの陵墓等は、江戸時代の元禄年間(千六百八十八年から千七百四年までの期間をいう。以下同じ。)から昭和にかけて治定されたものであり、「諸陵寮誌」等の文献にみられるように、治定以降現在に至るまで皇室による祭祀が継続して行われているところである。

なお、古くは奈良時代に成立した「養老令」に、陵における祭祀をつかさどる諸陵司を設置することが記載されているほか、平安時代に成立した「延喜式」にも、祭祀の対象となる陵墓の一覧が記載されているところである。

(二)について

「日本書紀」には、御指摘の「箸墓古墳」の築造年次や倭迹迹日百襲姫命の薨去年次に関する記述は認められない。

なお、御指摘の「箸墓古墳」の築造時期について、三世紀の中頃から後半という見解があることは承知している。

(三)について

陵墓等については、天皇及び皇族を葬る所として、祭祀が現に継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっていることから、静安と尊厳の保持が最も重要であると考えている。

(四)について

陵墓等は、「日本書紀」、「古事記」、「延喜式」等の古記録の陵に関する記載、口碑伝承等に基づき現地踏査が行われ、元禄年間から昭和にかけて治定されたものである。

(五)について

古代高塚式の陵墓等の名称、考古学上の名称、被葬者名、所在地及び治定の時期については次のとおりである。

畝傍山東北陵 四条ミサンザイ古墳 神武天皇 奈良県橿原市 文久年間(千八百六十一年から千八百六十四年までの期間をいう。以下同じ。)

桃花鳥田丘上陵 四条塚山古墳 綏靖天皇 奈良県橿原市 千八百七十八年二月二十八日

畝傍山西南御陰井上陵 不詳 安寧天皇 奈良県橿原市 文久年間

畝傍山南繊沙渓上陵 不詳 懿徳天皇 奈良県橿原市 文久年間

掖上博多山上陵 不詳 孝昭天皇 奈良県御所市 元禄年間

玉手丘上陵 不詳 孝安天皇 奈良県御所市 文久年間

片丘馬坂陵 不詳 孝霊天皇 奈良県王寺町 元禄年間

剣池嶋上陵 中山塚一号墳、二号墳及び三号墳 孝元天皇 奈良県橿原市 元禄年間

春日率川坂上陵 念仏寺山古墳 開化天皇 奈良県奈良市 元禄年間

山辺道勾岡上陵 行燈山古墳 崇神天皇 奈良県天理市 文久年間

菅原伏見東陵 宝来山古墳 垂仁天皇 奈良県奈良市 元禄年間

山辺道上陵 渋谷向山古墳 景行天皇 奈良県天理市 文久年間

狭城盾列池後陵 佐紀石塚山古墳 成務天皇 奈良県奈良市 元禄年間

恵我長野西陵 岡ミサンザイ古墳 仲哀天皇 大阪府藤井寺市 文久年間

恵我藻伏崗陵 誉田御廟山古墳 応神天皇 大阪府羽曳野市 元禄年間

百舌鳥耳原中陵 大仙古墳 仁徳天皇 大阪府堺市 元禄年間

百舌鳥耳原南陵 石津丘古墳 履中天皇 大阪府堺市 元禄年間

百舌鳥耳原北陵 田出井山古墳 反正天皇 大阪府堺市 元禄年間

恵我長野北陵 市野山古墳 允恭天皇 大阪府藤井寺市 文久年間

菅原伏見西陵 不詳 安康天皇 奈良県奈良市 文久年間

丹比高鷲原陵 高鷲丸山古墳 雄略天皇 大阪府羽曳野市 元禄年間

河内坂門原陵 白髪山古墳 清寧天皇 大阪府羽曳野市 元禄年間

傍丘磐坏丘南陵 不詳 顕宗天皇 奈良県香芝市 千八百八十九年六月一日

埴生坂本陵 野中ボケ山古墳 仁賢天皇 大阪府藤井寺市 文久年間

三嶋藍野陵 太田茶臼山古墳 継体天皇 大阪府茨木市 享保年間(千七百十六年から千七百三十六年までの期間をいう。)

古市高屋丘陵 高屋築山古墳 安閑天皇 大阪府羽曳野市 元禄年間

身狭桃花鳥坂上陵 鳥屋ミサンザイ古墳 宣化天皇 奈良県橿原市 元禄年間

桧隈坂合陵 平田梅山古墳 欽明天皇 奈良県明日香村 文久年間

河内磯長中尾陵 太子西山古墳 敏達天皇 大阪府太子町 元禄年間

河内磯長原陵 春日向山古墳 用明天皇 大阪府太子町 元禄年間

磯長山田陵 山田高塚古墳 推古天皇 大阪府太子町 元禄年間

押坂内陵 段ノ塚古墳 舒明天皇 奈良県桜井市 元禄年間

大阪磯長陵 山田上ノ山古墳 孝徳天皇 大阪府太子町 元禄年間

越智崗上陵 車木ケンノウ古墳 斉明天皇 奈良県高取町 文久年間

山科陵 御廟野古墳 天智天皇 京都府京都市山科区 元禄年間

長等山前陵 亀塚古墳 弘文天皇 滋賀県大津市 千八百七十七年六月十五日

桧隈大内陵 野口王墓古墳 天武天皇及び持統天皇 奈良県明日香村 千八百八十一年二月十五日

桧隈安古岡上陵 栗原塚穴古墳 文武天皇 奈良県明日香村 千八百八十一年二月十五日

佐保山南陵 法蓮北畑古墳 聖武天皇 奈良県奈良市 元禄年間

高野陵 佐紀高塚古墳 称徳天皇 奈良県奈良市 文久年間

田原東陵 田原塚ノ本古墳 光仁天皇 奈良県奈良市 元禄年間

楊梅陵 市庭古墳 平城天皇 奈良県奈良市 文久年間

狭木之寺間陵 佐紀陵山古墳 垂仁天皇皇后日葉酢媛命 奈良県奈良市 千八百七十五年十一月二十八日

日岡陵 日岡山一号墳 景行天皇皇后播磨稲日大郎姫命 兵庫県加古川市 千八百八十三年四月十四日

狭城盾列池上陵 五社神古墳 仲哀天皇皇后神功皇后 奈良県奈良市 文久年間

仲津山陵 仲津山古墳 応神天皇皇后仲姫命 大阪府藤井寺市 千八百七十五年十一月二十八日

平城坂上陵 ヒシアゲ古墳 仁徳天皇皇后磐之媛命 奈良県奈良市 千八百七十五年十一月二十八日

衾田陵 西殿塚古墳 継体天皇皇后手白香皇女 奈良県天理市 千八百七十六年九月十四日

古市高屋陵 高屋八幡山古墳 安閑天皇皇后春日山田皇女 大阪府羽曳野市 千八百七十五年十一月二十八日

佐保山東陵 不詳 聖武天皇皇后光明子 奈良県奈良市 千八百七十九年二月八日

宇智陵 不詳 光仁天皇皇后井上内親王 奈良県五条市 千八百七十七年四月

大枝陵 不詳 光仁天皇夫人新笠 京都府京都市西京区 千八百八十年十二月

高畠陵 伝高畠陵古墳 桓武天皇皇后乙牟漏 京都府向日市 千八百七十九年十月十三日

宇波多陵 不詳 桓武天皇夫人旅子(読み不詳) 京都府京都市西京区 千八百八十年十二月

高屋山上陵 不詳 天津日高彦火火出見尊 鹿児島県霧島市 千八百七十四年七月

埴口丘陵 北花内大塚古墳 履中天皇皇孫女飯豊天皇 奈良県葛城市 文久年間

田原西陵 田原西山古墳 天智天皇皇子追尊天皇春日宮天皇 奈良県奈良市 文久年間

吉隠陵 不詳 天智天皇皇子妃贈皇太后橡姫 奈良県宇陀市 千八百七十九年二月八日

真弓丘陵 不詳 天武天皇皇子追尊天皇岡宮天皇 奈良県高取町 文久年間

竈山墓 竃山神社古墳 彦五瀬命 和歌山県和歌山市 千八百七十六年一月二十二日

大吉備津彦命墓 中山茶臼山古墳 孝霊天皇皇子大吉備津彦命 岡山県岡山市 千八百七十四年十二月二日

大市墓 箸墓古墳 孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命 奈良県桜井市 文久年間

身狭桃花鳥坂墓 桝山古墳 崇神天皇皇子倭彦命 奈良県橿原市 千八百七十七年四月

大入杵命墓 小田中親王塚古墳 崇神天皇皇子大入杵命 石川県中能登町 千八百七十五年十二月二十七日

八坂入彦命墓 大萱古墳 崇神天皇皇子八坂入彦命 岐阜県可児市 千八百七十五年十二月十七日

宇度墓 淡輪ニサンザイ古墳 垂仁天皇皇子五十瓊敷入彦命 大阪府岬町 千八百八十年十二月二十八日

息速別命墓 阿保親王墓古墳 垂仁天皇皇子息速別命 三重県伊賀市 千八百七十六年二月四日

磐衝別命墓 羽咋御陵山古墳 垂仁天皇皇子磐衝別命 石川県羽咋市 千九百十七年九月二十七日

磐城別王墓 羽咋大谷塚古墳 垂仁天皇皇孫磐城別王 石川県羽咋市 千九百十七年九月二十七日

大碓命墓 不詳 景行天皇皇子大碓命 愛知県豊田市 千八百七十五年十二月二十七日

能褒野墓 能褒野王塚古墳 景行天皇皇子日本武尊 三重県亀山市 千八百七十九年十月三十一日

五十狭城入彦皇子墓 西本郷和志山古墳 景行天皇皇子五十狭城入彦皇子 愛知県岡崎市 千九百四十一年四月十八日

那羅山墓 不詳 応神天皇皇子大山守命 奈良県奈良市 千八百七十七年四月

宇治墓 菟道丸山古墳 応神天皇皇太子菟道稚郎子尊 京都府宇治市 千八百八十九年六月一日

都紀女加王墓 上のびゅう塚古墳 応神天皇皇曽孫都紀女加王 佐賀県上峰町 千九百四十三年八月五日

磐坂市辺押磐皇子墓 不詳 履中天皇皇子磐坂市辺押磐皇子 滋賀県東近江市 千八百七十五年八月七日

坂合黒彦皇子墓 不詳 允恭天皇皇子坂合黒彦皇子 奈良県大淀町 千八百七十六年九月十四日

押坂内墓 不詳 欽明天皇皇女大伴皇女 奈良県桜井市 千八百七十六年十月二十六日

桧隈墓 不詳 敏達天皇皇孫妃吉備姫王 奈良県明日香村 文久年間

磯長墓 叡福寺北古墳 用明天皇皇子聖徳太子 大阪府太子町 千八百七十五年三月八日

埴生崗上墓 埴生野塚穴古墳 用明天皇皇子来目皇子 大阪府羽曳野市 千八百七十五年三月八日

越智崗上墓 不詳 天武天皇妃大田皇女 奈良県高取町 文久年間

二上山墓 不詳 天武天皇皇子大津皇子 奈良県葛城市 千八百七十六年九月十四日

長屋王墓 梨本南二号墳 天武天皇皇孫長屋王 奈良県平群町 千九百一年二月二十六日

吉備内親王墓 不詳 天武天皇皇孫長屋王妃吉備内親王 奈良県平群町 千九百一年二月二十六日

那富山墓 大黒ヶ芝古墳 聖武天皇皇子皇太子(御名不詳) 奈良県奈良市 千八百七十九年十月十三日

和束墓 不詳 聖武天皇皇子安積親王 京都府和束町 千八百七十九年一月十一日

他戸親王墓 不詳 光仁天皇皇子皇太子他戸親王 奈良県五条市 千八百八十三年十月二十六日

巨幡墓 遠山黄金塚二号墳 桓武天皇皇子伊豫親王 京都府京都市伏見区 千八百八十四年一月三十一日

高畠墓 垂箕山古墳 桓武天皇皇子仲野親王 京都府京都市右京区 千八百七十五年十一月二十八日

阿保親王墓 打出親王塚古墳 平城天皇皇子阿保親王 兵庫県芦屋市 千八百七十五年八月十九日

白鳥陵 軽里大塚古墳 景行天皇皇子日本武尊 大阪府羽曳野市 千八百八十年十二月二十八日

白鳥陵 不詳 景行天皇皇子日本武尊 奈良県御所市 千八百七十六年五月十二日

大塚陵墓参考地 河内大塚山古墳 不詳 大阪府羽曳野市及び松原市 千九百二十五年九月二十一日

藤井寺陵墓参考地 津堂城山古墳 不詳 大阪府藤井寺市 千九百十六年十月十四日

東百舌鳥陵墓参考地 土師ニサンザイ古墳 不詳 大阪府堺市 千九百九年十月二十一日

百舌鳥陵墓参考地 百舌鳥御廟山古墳 不詳 大阪府堺市 千九百一年十二月九日

畝傍陵墓参考地 見瀬丸山古墳 不詳 奈良県橿原市 千八百九十七年九月十五日

宇和奈辺陵墓参考地 ウワナベ古墳 不詳 奈良県奈良市 千八百八十五年四月六日

小奈辺陵墓参考地 コナベ古墳 不詳 奈良県奈良市 千八百八十五年四月六日

郡山陵墓参考地 郡山新木山古墳 不詳 奈良県大和郡山市 千八百九十七年九月十五日

磐園陵墓参考地 城山築山古墳 不詳 奈良県大和高田市 千八百八十七年五月二十四日

陵西陵墓参考地 狐井塚古墳 不詳 奈良県大和高田市 千八百九十七年九月十五日

三吉陵墓参考地 三吉新木山古墳 不詳 奈良県広陵町 千八百八十六年六月八日

大塚陵墓参考地 新山古墳 不詳 奈良県広陵町 千八百八十六年十二月十三日

黄金塚陵墓参考地 田中黄金塚古墳 不詳 奈良県奈良市 千八百九十一年九月十九日

富郷陵墓参考地 岡原古墳 不詳 奈良県斑鳩町 千八百九十七年九月十五日

円山陵墓参考地 丸山古墳 不詳 京都府京都市右京区 千八百九十九年十二月二十七日

入道塚陵墓参考地 入道塚古墳 不詳 京都府京都市右京区 千八百九十九年十二月二十七日

下坂本陵墓参考地 木岡陵古墳 不詳 滋賀県大津市 千八百九十二年十二月二十五日

安曇陵墓参考地 田中大塚古墳 不詳 滋賀県高島市 千九百五年七月二十一日

宇治山田陵墓参考地 尾部古墳 不詳 三重県伊勢市 千九百八年

玉津陵墓参考地 吉田王塚古墳 不詳 兵庫県神戸市 千九百年五月四日

雲部陵墓参考地 雲部車塚古墳 不詳 兵庫県篠山市 千八百九十九年七月六日

岩坂陵墓参考地 不詳 不詳 島根県松江市 千九百年四月二十日

妻鳥陵墓参考地 東宮山古墳 不詳 愛媛県四国中央市 千八百九十五年十二月四日

勾金陵墓参考地 不詳 不詳 福岡県香春町 千八百九十五年十二月四日

花園陵墓参考地 晩免古墳 不詳 熊本県宇土市 千八百八十八年十二月二十六日

北川陵墓参考地 可愛山古墳 不詳 宮崎県延岡市 千八百九十五年十二月四日

男狭穂塚女狭穂塚陵墓参考地 男狭穂塚古墳 不詳 宮崎県西都市 千八百九十五年十二月四日

男狭穂塚女狭穂塚陵墓参考地 女狭穂塚古墳 不詳 宮崎県西都市 千八百九十五年十二月四日

(六)について

宮内庁としては、陵墓等については、現に皇室において祭祀が継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっていることから、静安と尊厳の保持が最も重要であると考えている。このため、部外者を陵墓等に立ち入らせたりすることは、厳に慎むべきことと考えているが、学術研究上の要請にこたえるため、陵墓等の本義に支障を及ぼさない限りにおいて、保全工事に伴う調査の際の見学の実施や調査結果の公表等に努めているところである。

(七)及び(八)について

宮内庁は、先の答弁書(平成二十二年六月十一日内閣衆質一七四第五三五号)(三)及び(四)についてでお答えしたとおり、陵墓等の管理を行っており、陵墓等の管理に携わる宮内庁職員は、その職務として、陵墓等の管理上必要に応じて墳丘最下段テラスより上に登ることもある。その際、祭祀に当たる行為は行っていない。

(九)について

先の答弁書(平成二十一年七月十七日内閣衆質一七一第六五七号)(六)についてでお答えしたとおりである。

(十)、(十一)及び(十七)から(十九)までについて

先の答弁書(平成二十二年六月十一日内閣衆質一七四第五三五号)(六)及び(八)から(十二)までについてでお答えしたとおりである。

(十二)について

御指摘の「拝所」も陵墓等の一部であり、国有財産法(昭和二十三年法律第七十三号)第三条第二項第三号に規定する皇室用財産として宮内庁が管理している。

(十三)について

お尋ねの「等」は、職務上陵墓とかかわりのある国家公務員を「陵墓の管理等に携わる者」と総称するために用いたものである。

(十四)及び(十五)について

お尋ねの趣旨が必ずしも明らかではないが、「反正天皇山陵千六百年式年祭」及び「応神天皇山陵千七百年式年祭」に宮内庁職員等の国家公務員が参列したことについては、参列の目的等にかんがみ、先の答弁書(平成二十二年六月二十二日内閣衆質一七四第五八五号)(六)についてにおいて、憲法上の問題があるとは考えていないとお答えしたものである。

(十六)について

「反正天皇山陵千六百年式年祭」及び「応神天皇山陵千七百年式年祭」への地方公務員の参列については、各地方公共団体の公務員の行為に関することであるから、政府としてお答えする立場にない。

衆議院の原文

この答弁書に出てくる定型句

趣旨が明らかではない ×1

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