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琉球王国の歴史的事実と認識に関する質問主意書

衆議院 第189回 第97号お答えすることは困難 ×5趣旨が明らかではない ×3

提出者
社会民主党・市民連合
提出日
2015年2月25日
内閣転送 2015年3月2日
答弁書受領日
2015年3月6日
提出から9日
答弁の項目数
7
質問 3,956字/答弁 946字

質問本文

今、沖縄では各種選挙で示された民意を無視して、ウチナーとウチナーンチュに対する国家権力を総動員した国策の犠牲強要がおこなわれている。辺野古への巨大な新基地建設強行と東村高江における米軍ヘリパッド建設強行が、その象徴的事例である、と考える。

わが国の近現代史の中で、常に沖縄は国策に翻弄され、その犠牲を強いられてきた。

だが、ウチナーとウチナーンチュは、受忍限度をはるかに超えた犠牲と負担の強要を拒否し、自らの尊厳と自己決定権の回復、アイデンティティーの確立を求めて立ち上がった。

日本政府からの「構造的沖縄差別」の強要に抗い、自決と自立を求める動き(闘い)は、もはや強大な国家意思と国家権力をもってしても、押しとどめることは不可能であろう。かつての主権国家、独立国家である琉球王国の末裔たるウチナーンチュの誇りと尊厳が、それを許さない、のだと信ずる。

一八五四年七月十一日、琉球王国とアメリカ合衆国(以下、米国という)との間に琉米修好条約が締結された。同条約締結から百六十年の節目を迎えた二〇一四年五月一日から二〇一五年二月十五日までの間、琉球新報が企画連載「道標(しるべ)求めて」を百回にわたって報じた。同連載は開始にあたって、その企図について次のように記している。

「琉球王国の日本併合後も沖縄では差別や沖縄戦、米国統治、米軍基地被害など住民の命や人権、民意が侵される状況が続いてきた。そしてそのたびに、自治権拡大や自立論、独立論など、沖縄の『主権』を追求する主張が叫ばれてきた。沖縄が目指すべき『主権』やその実現への道筋を考える上で、条約をめぐる歴史から学ぶ教訓は多い。歴史は今の沖縄に何を語り掛けるか。現在の視点から歴史を捉え直し、沖縄が歩むべき将来像を探る」−。

同連載は、明治政府による「琉球処分」(琉球併合)の時期、琉球王国が国際法主体としての主権国家、独立国家であったこと等の歴史的事実について、膨大な資料収集とその分析・解明、国際法学者をはじめとする識者らの見解などを通じ、論を展開している。

琉球新報は、同連載を終えた二〇一五年二月十七日付社説で概略次のように総括している。

「明治政府の『琉球処分』(琉球併合)が国際法違反だったことが確認できた」「沖縄の民意を無視してよいものと扱い、政府が一方的に強制できる対象とみなす現在の沖縄問題の源流、その淵源が琉球併合だ」「歴史的にも国際的にも、沖縄が自己決定権を持つのはもはや明らかである」−と。

私は、一九九五年の参議院議員当選以来、自らの政治信念を「ウチナーの未来はウチナーンチュが決める!」と定め、国会内外で活動してきた。

私の政治信念は、ウチナーンチュの自己決定権回復の主張や「道標(しるべ)」を求める旅とも重なる、と信ずる。

以下、質問する。

一 今から五百八十六年前の一四二九年、尚巴志が琉球を統一し、南西諸島に琉球王国が誕生した。

琉球王国は、中国(明)に朝貢し、王に任命してもらう冊封体制に入ったが、一六〇九年に薩摩藩の侵攻を受け、日本国の幕藩体制に組み込まれた。同時に、中国(明)との朝貢関係も継続した。

一八七九(明治十二)年、明治政府が琉球王国を解体し、沖縄県を設置する「琉球処分」(琉球併合)の断行をもって、琉球王国と中国との臣従関係が終わった。

その過程の中で一八七二(明治五)年九月、明治政府は琉球王国を一先ず琉球藩とし、外務省の管轄下に置いている。

政府は、かかる琉球王国をめぐる一連の出来事を歴史的事実として認識する立場か、見解を示されたい。なお、異なる認識を有しているのであれば、その根拠を示して政府の見解を明らかにされたい。

二 国際法上、主権国家とは、一定の領域における秩序をもたらす、または秩序をもたらすことを期待されている統治機構である、と理解する。

同時に、国際法とは、近代国家の出現とともに、その相互関係を規律するものとして形成された統一的法秩序を指し、国際法主体とは、国際法上の権利義務の当事者になり得る資格を与えられている者である、と理解する。

政府は、一八七九年の「琉球処分」(琉球併合)の時期、琉球王国が国際法主体としての主権国家、独立国家であったとの認識を有する立場か、見解を示されたい。なお、異なる認識を有するのであれば、その根拠を示して政府の見解を明らかにされたい。

三 一八五四年には琉球王国と米国との間に琉米修好条約、一八五五年には琉球王国とフランス帝国(以下、フランスという)との間に琉仏修好条約、一八五九年には琉球王国とオランダ王国との間に琉蘭修好条約(以下、琉米、琉仏、琉蘭三修好条約という)が、それぞれ締結されている。これら琉米、琉仏、琉蘭三修好条約が締結された歴史的事実をもって、琉球王国が当時、国際法主体としての主権国家であったとする何よりの証左だ、と専門家らは主張し、私も同様に考える。

政府は、これら琉米、琉仏、琉蘭三修好条約が締結された歴史的事実をもって、当時の琉球王国が国際法主体としての主権国家であったとの認識か、見解を示されたい。なお、異なる認識を有しているのであれば、その根拠を示して政府の見解を明らかにされたい。

四 条約や協定とは、主権国家、独立国家の間において文書の形式によって締結され、国際法によって規律される国際的な合意である、と理解する。

政府は、主権国家、独立国家以外のいわゆる「付庸国」や「従属国」も条約や協定を締結する主体となり得ると考えるか、その根拠と併せて見解を示されたい。

また、右琉米、琉仏、琉蘭三修好条約は、国際法によって規律される国際的な合意文書としての条約であるとの認識か、政府の見解を示されたい。なお、異なる認識を有するのであれば、その根拠を示して政府の見解を明らかにされたい。

五 一八五四年三月三十一日には、日米和親条約が江戸幕府と米国との間で締結された。また、一八五八年七月二十九日には、日米修好通商条約が江戸幕府と米国との間で締結されている。

政府は、日米和親条約及び日米修好通商条約を締結した当時の江戸幕府は、国際法主体の主権国家であったと認識する立場か、見解を示されたい。なお、異なる認識を有するのであれば、その根拠を示して政府の見解を明らかにされたい。

また、その場合、右二条約が締結された当時の琉球王国は、国際法主体としての主権国家日本の領土に含まれていたのか、それとも日本とは関係ない「他国」、あるいは薩摩藩の「付庸国」であったとの認識か、根拠を示した上で政府の見解を明らかにされたい。

六 琉米、琉仏、琉蘭三修好条約それぞれの原本は、一八七四年五月に明治政府が琉球王国から没収して以降、現在まで政府(具体的には外務省外交史料館)において保管されているが、かかる事実に至った歴史的経緯を説明した上で、政府が保管し続ける正当性の根拠を示されたい。

また、私は、琉米、琉仏、琉蘭三修好条約それぞれの原本を沖縄県公文書館に移管すべきと考えるが、政府の見解を明らかにされたい。

七 琉仏修好条約のフランス側原本が、パリ東部に隣接するヴァンセヌ市の海軍公文書館に保管されていることが、琉球新報の企画連載「道標(しるべ)求めて」の取材過程で判明した。

政府は、琉米、琉仏、琉蘭三修好条約それぞれの原本が相手方締結国に保管されているか否かについて調査したことがあるか、事実関係を明らかにされたい。

調査の事実があるならば、いつ、いかなる方法で調査をしたのか、調査結果の報告書は作成されているのかについても、明らかにされたい。

調査していないのであれば、速やかに調査に着手すべきと考えるが、政府の見解を示されたい。

八 琉米、琉仏、琉蘭三修好条約それぞれの原本に関し、明治政府は一八七二年九月二十八日の太政官布告で「三条約(琉米、琉仏、琉蘭三修好条約)は外務省が管轄する」と表明し、一八七三年三月に琉球王国に対して右三条約それぞれの原本提出を命じた。琉球王国は、一年二カ月の間、原本提出を拒んだものの、一八七四年五月にはやむなく提出するに至っている。

政府は、かかる三条約をめぐる一連の出来事を歴史的事実として認識する立場か、見解を示されたい。なお、異なる歴史認識を持っているのであれば、その根拠を示して政府の見解を明らかにされたい。

また、政府は、明治政府が琉球王国に発した右太政官布告が国際法上、正当かつ有効なものであったとの認識か、その根拠を示して見解を明らかにされたい。

九 従来、政府(外務省)は、琉米、琉仏、琉蘭三修好条約について「当時の経緯が必ずしも明らかでないこともあり、確定的なことを述べるのは困難である」旨の答弁(回答)を繰り返してきた。しかし、右三修好条約の原本を外務省外交史料館が現に保有している以上、今からでもその経緯を調査し、その結果報告書を公表すべきと考えるが、政府の見解を示されたい。

十 一九三四(昭和九)年に、当時の外務省條約局が編集した「舊條約彙纂第三卷(朝鮮・琉球)」(以下、「条約集」という)に琉米修好条約が掲載されている。右「条約集」は、当時国際法によって規律される国際的な合意として現に効力がある条約、あるいは効力があった条約を編集したものか、政府の見解を示されたい。

また、右「条約集」編集の目的や経緯について、政府として調査したことはあるか。調査の事実がある場合は、その過程について、いつ、誰が、どのような方法で調査し、いかなる調査結果を得たのか明らかにされたい。なお、調査していないのであれば、速やかに調査に着手すべきと考えるが、政府の見解を示されたい。

右質問する。

衆議院の原文・経過

政府答弁書

一について

政府の認識は、衆議院議員鈴木宗男君提出琉球王国の地位に関する再質問に対する答弁書(平成十八年十一月十日内閣衆質一六五第一三一号)四についてでお答えしたものと同じである。

二、三及び八について

御指摘の「琉球王国」をめぐる当時の状況が必ずしも明らかではないこともあり、お尋ねについて確定的なことを述べることは困難である。

四について

お尋ねの「主権国家、独立国家以外のいわゆる「付庸国」や「従属国」」の意味するところが必ずしも明らかではないため、お答えすることは困難である。また、御指摘の各「条約」と称するものについては、いずれも日本国として締結した国際約束ではなく、その当時における法的性格につき政府として確定的なことを述べるのは困難である。

五について

御指摘の「江戸幕府は、国際法主体の主権国家であった」の意味するところが必ずしも明らかではないため、お答えすることは困難である。

六及び九について

御指摘の各「条約」と称するものの原本は、衆議院議員鈴木宗男君提出一八五四年の琉米修好条約に関する質問に対する答弁書(平成十八年十二月八日内閣衆質一六五第一九三号)三について、衆議院議員鈴木宗男君提出一八五五年の琉仏修好条約に関する質問に対する答弁書(平成十八年十二月八日内閣衆質一六五第一九六号)一について及び衆議院議員鈴木宗男君提出一八五九年の琉蘭修好条約に関する質問に対する答弁書(平成十八年十二月十二日内閣衆質一六五第二〇三号)一についてでお答えしたとおり、外交史料館が昭和四十六年四月に開設された際に、外務省大臣官房文書課から移管された。当該原本は、外務省設置法(平成十一年法律第九十四号)第四条第二十二号の規定に基づき、今後とも外交史料館において適切に管理する考えである。

七について

御指摘の各「条約」と称するものの原本が御指摘の国に保管されているか否かについて調査したことはなく、現時点ではかかる調査を行う予定はない。

十について

御指摘の「舊條約彙纂第三卷(朝鮮・琉球)」については、外務省においてこれまでに外交史料館に保管されている資料を確認する等の形で調査した範囲では、作成当時の経緯が必ずしも明らかではなく、政府として確定的なことを述べることは困難である。

衆議院の原文

この答弁書に出てくる定型句

お答えすることは困難 ×5趣旨が明らかではない ×3

語の一致で数えたものです。答弁の評価ではありません。同じ型の答弁が過去にどれだけあるかは、型を押すと出ます。

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