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復員者に軍隊手帖等返還に関する質問主意書

衆議院 第22回 第15号

提出者
衆議院
提出日
1955年6月13日
内閣転送 1955年6月15日
答弁書受領日
1955年6月21日
提出から8日
答弁の項目数
0
質問 461字/答弁 817字

質問本文

衆議院議長 ※(注)谷秀次 殿

復員者に軍隊手帖等返還に関する質問主意書

東京都八王子市二分方三五菅沼寅男氏は、昭和十四年十二月十日現役志願兵として赤坂歩兵第一聯隊に入隊、昭和二十一年五月十一日博多に上陸し、復員まで外地(内蒙北支中支)に勤務していたが、復員時博多において返納した軍隊手帖、功績名簿等を記念として手もとに保存したいと熱望している。

復員時の詳細は次の通りである。

復員上陸地  昭和二十一年五月十一日九州博多港

部  隊  名  支那派遣軍第六方面軍戦車第三師団防空隊第五中隊

官  氏  名  陸軍砲兵曹長 菅 沼 寅 男

復員書類、軍隊手帖、功績名簿、戦時名簿、恩給書類等は、中隊長陸軍大尉木村義郎及び人事係陸軍准尉佐※(注)一布の二氏が携行し、支那方面軍復員事務局大宰府に残務整理者として残留後日復員した。右のごとき殊勝な希望に対しては、これに応ずべきものと思われ、関係書類を本人に返還してもらいたいと思うが、可能であるかどうか。もしできれば、いかなる手続きをすればよいかお伺いしたい。

右質問する。

衆議院の原文・経過

政府答弁書

一 戦車第三師団防空隊所属元陸軍砲兵曹長菅沼寅男氏が復員した昭和二十一年五月当時において、各部隊の携行帰還した書類は、一般に次のように取り扱われていた。

1 留守名簿及び部隊略歴

支那派遣軍残務整理部(昭和二十一年十二月三十一日廃止。残務は、現厚生省未帰還調査部が継承。)を経て第一復員省留守業務部(現厚生省未帰還調査部)へ送付。

2 除隊召集解除者連名簿

支那派遣軍残務整理部を経て各一部を地方世話部(終戦前の聯隊区司令部の継承機関で、現在は各都道府県世話(援護)課)及び第一復員省留守業務部へ送付。

3 戦時名簿及び功績名簿

戦時名簿(正規の戦時名簿のないものは仮戦時名簿を調製)及び功績名簿は、支那派遣軍残務整理部を経て地方世話部へ送付。

4 軍隊手帖及び恩給書類

上陸地において各個人に返還。

二 留守名簿、部隊略歴及び除隊召集解除者連名簿は、個人毎に区別されていないものである。

三 戦時名簿及び功績名簿は、個人毎になつているが、もとの軍人軍属の身上取扱の基礎資料であるから、現在本籍地の都道府県において保管しており、これを個人には返還しないが、本人の希望により都道府県世話(援護)課において随時閲覧せしめ又は必要ある場合にはその写を調整して交付している。

四 戦車第三師団防空隊第五中隊長陸軍大尉木村義郎及び同人事係陸軍准尉佐※(注)一布の二氏が、個人に返還すべき軍隊手帖及び恩給書類を支那派遣軍残務整理部へ携行したことは、一般の取扱要領と異なるもので、その書類を如何に処理したかは直接両氏に照会されたい。

なお両氏の復員時における住所は次のとおりである。

陸軍大尉

木 村 義 郎

本籍地

愛知県幡豆郡西尾町大字徳次二七

帰郷先

同   右

陸軍准尉

佐 ※(注) 一 布

本籍地

埼玉県北埼玉郡大越村大字外野五七六の一

帰郷先

同   右

又直接厚生省引揚援護局に調査の依頼があれば両氏について調査する。

右答弁する。

衆議院の原文

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