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立川市の井戸水汚染に対する日米安全保障条約に基く行政協定による補償に関する質問主意書

衆議院 第24回 第8号

提出者
衆議院
提出日
1956年4月24日
内閣転送 1956年4月26日
答弁書受領日
1956年5月1日
提出から7日
答弁の項目数
0
質問 690字/答弁 839字

質問本文

衆議院議長 ※(注)谷秀次 殿

立川市の井戸水汚染に対する日米安全保障条約に基く行政協定による補償に関する質問主意書

昭和二十七年五月、立川市全域の三分の二以上にわたり、井戸水の中にガソリンが混入するという事件が発生し、関係市民二万八千名は多大な被害を受けた。汚染の原因につき同年七月一日、米軍第三百七十四輸送部隊の司令官ハオー大佐より公文書をもつて立川市長宛に米軍側の責任を認めてきたが、昭和二十九年四月、補償金の前渡しとして見舞金の形で日本政府より二千九百十四万七千十三円を交付された。しかるにその後、日米双方において、汚染の原因につき意見の対立をみ、ついに三十年一月日米合同委員会に附議され今日に至つており、なんらの解決をみていない。この未解決は、直接には立川市民の多大なる被害を放任することとなり、間接には、日米両国国交上重大な悪影響を与えつつある。ここに次の点に関し、政府の具体的見解を伺いたい。

一 日本政府側の分析実験の結果、米軍のガソリンなることが証明されたとのことであるが、いかなる理由と根拠とをもつて米国側は否認したのか。

一 一度、公文書をもつて米軍の責任を認めながら、その後に至つて米国側が責任を回避していることに対し、政府は米国側の否認を認めるのか。認めないとすれば、いかなる措置をとつたか。また今後いかなる措置をとらんとするのか。

一 従来の日米合同委員会における審議の経過並びにそのみとおしについて伺いたい。

一 日米両国の見解が対立し、水掛論となるおそれがある場合、政府は、具体的にいかにして現実の被害に対する補償を行わんとするのか。

右質問する。

衆議院の原文・経過

政府答弁書

一 本件は米軍側が、米極東軍外国補償委員会における調査の結果によれば、基地内のパイプ破損箇所附近には多数の旧日本陸軍の埋没ドラム罐が発見されたこと、米軍側の分析試験、地質検査の結果によれば、本件損害は米軍側の貯油施設の破損等に起因するというなんらの根拠も認められないこと、及び日本側の分析試験等の調査結果は認め難いことなどを理由にその責任を否定したものである。

二 本件のごとき行政協定第十八条の規定に基く損害補償案件に関する米軍側における正式の交渉機関は担当法務官であることを日米相互に文書により確認しているので、本件の担当法務官でない米極東空軍第三百七十四輸送部隊司令官ハウイ大佐が、行政協定第十八条の規定に基く被害者よりの損害補償申請書提出前に、その見解を示した立川市長あての書翰の効力は、直接的には本案件処理に影響を及ぼすものではないと考える。

しかしながら、政府としては、日本側の化学的調査の結果を否認しようとする米軍側の態度を容認することはできないので、数次にわたつて折衝を重ねたが、米軍側はその責任をあくまで否定して結論を得られなかつたため、やむなく本件の解決を日米合同委員会の付託に求めた次第である。

三 昭和三十年三月十日第百十回日米合同委員会に本件を付託したが、その後米軍側からはなんらの回答も得られなかつたので、督促した結果本年三月八日第百三十二回日米合同委員会において米側代表からさきに表明した外国補償委員会の結論にはなんら変更すべきところがなく、従つて米軍側にはなんらの責任もない旨の回答に接するにいたつた。

四 政府としては、本件の損害の原因はあくまで米軍側にあること、及び米軍側の主張にはなんら本件の責任を否定すべき具体的理由が認められないこと等にかんがみ、日米合同委員会において重ねて米側がその責任を否定する具体的理由を質すべく目下準備中であるので、本件に関する補償措置については、これが交渉の結果を待つて考慮することといたしたい。

右答弁する。

衆議院の原文

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