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学校法人日本大学における学生の自治・学生対策等に関する質問主意書
衆議院 第84回 第63号
質問本文
衆議院議長 保利 茂 殿
学校法人日本大学における学生の自治・学生対策等に関する質問主意書
日本大学は、学生数並びに私立大学等経常費補助額において、日本最大の学校法人である。この大学は、昭和四十三年四月、教職員給与からの源泉徴収もれ等が発覚して、教職員組合・学生の追求するところとなり、「脱税」・「使途不明金」問題として「紛争」が起こつた。また、これを契機として長年の大学当局による学生の自治弾圧・体育系学生等による暴力行為の日常的横行を糾弾する学生の蜂起によつて、いわゆる「日大闘争」として拡がつた。
同年九月三十日、学生と理事会の間で「大衆団交」が開かれ、経理の全面公開、検閲・許可制度の撤廃、理事の総退陣等九項目が確約され、一たん「紛争」はおさまる気配を見せた。ところが翌日の佐藤発言(当時首相)によつて確約は結果として反古となり、「紛争」は再燃し、事態は一そう泥沼化した。その上、大学当局は昭和四十四年一月頃から機動隊の導入等により強権をもつて学生を排除し、学部によつては、通称「関東軍」と呼ばれる警備会社から雇用した警備員等によつて学生の出入を厳しく検閲・検問しつつ、一方的に授業を再開してこれをもつて正常化とした。その間、警備員等による学生への暴力行為が頻発し、特に大学当局の弾圧支配機構に根ざすと思われる体育系学生・右翼的団体等による暴力行為が跡を絶たず、昭和四十五年二月には学生の事故死を引き起こした。このような体育系学生集団は、昭和四十三年の「紛争」時に大学が闘争学生に対立・対抗するよう仕向けたために、警察当局から注意を受けたことがあるにもかかわらず、その後も放任されていた。これらを含めて、大学当局による学生の自治活動への制限ないし弾圧はなおも続き、かつて古田日大会頭が「日大には学生運動と組合がない」と宣伝した時代と全く同様、自治会の組織化も許されない状態が続いている。
このことは、去る六月五日の学生焼身抗議事件に見るまでもなく、看過し得ない危険性を持ち、その対策は緊急を要すると考える。
従つて、次の事項について質問する。
一 昭和五十年二月二十五日に、同大商学部学生・中村克己君が京王線武蔵野台駅付近において同大体育系学生集団の暴力によつて負傷し、三月二十五日に府中市内の奥島病院において死亡した事件のてんまつ並びに父母への対応の仕方について。
二 昭和五十二年四月二十二日、都内千代田区三崎町の同大経済学部「中国拳法錬心館」新入生勧誘会で、「練習試合」の直後死亡した同学部学生・青木雅彦君について、事故死のてんまつ、責任の所在、大学当局による父兄への対応、善後策等について。
三 昭和五十三年六月五日、千代田区三崎町の同大本部前の路上で「大学当局の学生弾圧に抗議する」旨の意志表示をして焼身自殺をはかつた同大法学部学生・鈴木俊博君に関して、事件の背景となつた同大法学部における学生自治の状況、学部当局の学生「対策」の内容並びに一般に知らされない鈴木俊博君の容態等について。
四 同大農獣医学部(都内世田谷区下馬町及び神奈川県藤沢市亀井野)において掲示されている「告」・「学内指示事項」の趣旨と、同学部が昭和四十四年二月五日付「学部提案」(付「紛争の経緯」)に対する違背の有無について。
五 同大農獣医学部(同右)の学生組織「誠心会」の実態(目的・人数等)について。
六 同大農獣医学部において、教職課程履修希望者に予め作文を課して選別する理由及び右のことの諸法規への適合性に関する学部当局の認識について。
七 同大文理学部(世田谷区桜上水)では、ここ数年正門を閉ざし、通称「関東軍」なる警備員を常駐させて厳重に学生の出入を検問している。また、ビラマキ程度の、学生の自由な活動にも暴力的制裁が加えられる由、その学則上の根拠、日本国憲法等への適法性についての学部当局の認識如何。
右質問する。
政府答弁書
一について
昭和四十五年二月二十五日午前十時過ぎ、東京都府中市白糸台四丁目十三番十号京王線武蔵野台駅前通りで日大全共闘系とみられる学生三十数人がビラ配布中、たまたま同所を通り合わせた日本大学の学生二人がビラ配布を無視して駅構内に入つたところ、突然全共闘系学生三、四人がなぐりかかつたことから、こぜり合いとなり、そこへ更に下校して来た同大学の学生八人に対しても、全共闘系三十数人が竹竿、角材等で襲つたため、両者の間に、二、三回前進、後退を繰り返すこぜり合いが行われた。
その際、後ろへ下がりつつあつた中村克己君(当時日本大学商学部三年生、二十二歳)が飛田給第十一号踏切において折から進行してきた八王子発上り特急第九〇四五号列車の前部左側に頭部が触れ、横転して重傷を負い直ちに府中市内の奥島病院に収容されたが三月二日死亡した。
大学では、死亡学生に対する商学部の慣例に基づき、遺族に対して弔意を表したと聞いている。
二について
昭和五十二年四月二十二日午後六時十五分ごろ東京都千代田区三崎町一丁目三番二号、日本大学経済学部本館七階講堂において同大学中国拳法錬心館部員が新入生五名の入部勧誘を行い、練習を見学させるとともに、新入生五名にそれぞれ籠手をつけさせ各一分間ぐらいずつ防具をつけた部員を攻撃させたところ、これに参加した青木雅彦君(当時日本大学経済学部一年生、十八歳)が、終了後間もなく卒倒し同大学駿河台病院に収容された後、同日午後九時五分死亡したというものである。
翌四月二十三日東京都監察医務院において解剖の結果、死因は病死(急性心機能不全)であつた。
大学としては、本件事故の経緯からみて大学にその責任はないと判断したが、慣例により同君の診療費等を同学部において負担し、また、学内で発生した事故でもあることなどを考慮して遺族に弔慰金などを贈つた。
その後、遺族の希望があり、昭和五十二年十二月十日に、事故が発生した同学部本館七階講堂において遺族による仏式の供養を行つたということである。
また、本件は右に述べたような突発的な事故であつたが、大学としては、サークル部員募集に関し新入生の自由意思を尊重し、強制的な募集は絶対行わないように、毎年厳重な注意をしていると聞いている。
三について
日本大学法学部においては、講義に支障のない限り大学施設を利用しての集会を届出だけで自由に行わせており、また、学生のサークル活動に対しても施設の貸与、活動費補助を行う等その自主的な活動の促進を図つているところであると聞いている。
同学部二部一年生鈴木俊博君は、現在同大学駿河台病院に入院中であるが重態であり、近親者以外は、面会できないと聞いている。
四について
昭和四十四年二月五日付け「学部提案」は、当時の日本大学農獣医学部における学園紛争を収拾するため、学部集会に臨む同学部の方針が示されたものであり、同学部に掲示されている昭和四十四年四月十七日付け学部長「告」は、同年三月二十八日の学部集会において承認された「授業を再開し、あわせて学園の民主化を推進する」との同学部の方針に基づき、学園の秩序維持のために一切の暴力行為を否定する旨の声明を発したものである。また、「学内指示事項」は、正常な学園生活を保持するための具体的な方法について定められたものであるが、これについては、逐次緩和、廃止の方向がとられていると聞いている。
なお、学生のサークル活動の印刷物の配布、掲示等については、あらかじめ所定の場所を設け、そこで配布又は掲示をさせる措置がとられているが、このことは「学部提案」に違背するものではないと聞いている。
五について
誠心会という学生組織は日本大学農獣医学部に学生団体として届出されておらず、同学部からの活動費補助も行われていないので、その実態は不明であると聞いている。
六について
日本大学農獣医学部においては、最近の学生の作文能力が十分でないことにかんがみ、教職課程の履修を希望する学生に作文を提出させて教職関係指導教員の参考資料とすることとしたものであり、これにより教職課程履修者を選別することはしていないと聞いている。
七について
日本大学文理学部では、昭和四十九年十二月以降、暴力的部外者の侵入によつて大学の自治が侵される事態を防止し、自由な教育・研究活動を保障するため、教職員をはじめ、学生に身分証明書を常時携帯させ、必要に応じ、その提示を求めているが、正門を閉ざし、あるいは検問を行つていることはないと聞いている。
また、同学部構内における印刷物の配布・掲示等については、所定の手続を経ることを要することとされているが、これは学内の美化と数多くの学生サークルに公平に機会を与えるための措置であると聞いている。なお、印刷物配布等に関し、学生が暴力的制裁を加えられるなどということはないと聞いている。
右答弁する。
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