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学校法人日本大学における学生の自治・学生対策等に関する質問主意書

衆議院 第92回 第7号

提出者
衆議院
提出日
1980年7月25日
内閣転送 1980年7月26日
答弁書受領日
1980年8月5日
提出から11日
答弁の項目数
4
質問 2,325字/答弁 1,309字

質問本文

衆議院議長 福田 一 殿

学校法人日本大学における学生の自治・学生対策等に関する質問主意書

学校法人日本大学は、連年、私立大学等経常費補助金の受配額第一位を占め、その国民に対する責任の大きさに照らしても、いつわりなく「紛争」のない大学であらねばならない。しかるに、一九七九年六月十四日提出の同題質問主意書のとおり、同大には正常な大学とはいいかねるような好ましからぬ事件が頻発し、しかも答弁には事実に反する部分が少なからずあり、また、答弁の第四項に基づいてなされた当事者間の交渉が、同大経済学部当局の不誠意と非科学的対応ゆえに、必ずしも円滑に進展しないのは誠に遺憾といわざるをえない。とりわけ、同大経済学部においてはサークル部員募集に関し、新入生の自由意志を尊重し、強制的な募集は絶対行わないように毎年厳重な注意をしている、とした一九七八年六月十六日提出の同題質問主意書第二項に対する答弁の内容に反して、強制勧誘は根絶されてはいない。「昔はともかく、今は上級生が下級生に対して暴力をふるうことなどありえない」旨、同大経済学部の責任者から説明された後、半月足らずの一九八〇年二月十四日、同大経済学部本館前で一年次学生が上級生による一撃の殴打で惨殺された。

いかなる動機・理由があるにせよ、同一大学の同一学部で三年間に二人の学生が暴力等によつて尊い生命を奪われるごとき事態は、まことに看過しえない危険性を感ずるものであり、その対策は緊急を要すると考える。

従つて、次の事項について質問する。

一 一九七九年六月十四日に提出の同題質問主意書に対する答弁第四項に基づき、同大経済学部学生・故青木雅彦君の親権者青木和夫氏の求めに応じて送られた同大井手生経済学部長名儀の回答文書は、きわめて誠意を欠き、また事実に反すると思われるので、さらに以下の点について詳細に説明されたい。

1 「練習見学」として新入生を誘い、それが「練習」となるために避けがたい威圧や強要はなかつたか。見学が「練習見学」に変り、さらに練習になつたのは何故か。

2 青木君は、バトミントン部に入部を希望していた。それを見学に誘い、「入部希望者」に仕立てて、ついに練習にいたる経緯に強要・威圧が皆無であつたとは思えない。事実はどうであつたのか。

3 「練習見学」に参加した新入生に課した準備体操の内容と指導者について。

4 青木君の相手をした先輩部員の姿勢と、両手の位置、「練習」中の行動について。

5 救急車は青木君を何科に運んだのか。診察を担当した医師は何科のどなたか。

6 行政解剖担当医が青木君の両親に「死因」等について説明されるのを職員が聞いたとの由であるが、学部当局が死因を積極的に調べようとしなかつたのは何故か。

学校安全、保健体育の面から責任をもつて死因究明に当たるのが筋ではないか。

7 安全教育等の見地から、当方調査員が同大付属駿河台病院を訪ね、青木君担当医に面会を求めたところ、同院事務当局が同大本部学生課の許可がなければ不可と応対した。そこで同大学生課に許可を求めたところ、現在なお回答がない。その意図は何か。今後、面会を許す意志はあるか、否か。

8 青木君は、高校時代バトミントン部の選手であり、厳しい選手生活を経験し、それに耐える健康体の持主であつた。また全校マラソンの完走者、地域マラソンの優勝経験をもつ健康な学生として同大経済学部に入学した。また学業にもすぐれ、入学式には新入生(全学)代表としてあいさつを述べる「光栄」をになつた学生でもある。その突然の死が、大学・サークルの責任の範囲にないとする理由を、学校安全、教育、医学、体育学等々、多面的に詳述されたい。

また、同大の道義的責任についてはいかん。

9 同君の親権者・青木和夫、同房子氏両名による学校法人日本大学代表者・理事鈴木勝殿宛の催告書(本年四月十九日付)に対する「回答書」(同六月四日付)の中で、同大学がサークル活動については最大限学生の自主性にゆだねられるべきである旨述べている。これと「顧問制」との間に矛盾はないか。

また、同大各学部では「届け出」を形式とする一種の許可制度が現存する。その理由は何か。前記回答の内容に反する実態ではないか。

また、同君を死に至らしめた誘因と考えられる「強制勧誘」や、見学を練習に切りかえるごとき強制に対して、同回答書に述べられる「教育上の適切な助言」は適確になされなかつたのは、顧問、監督の職にある教職員の責任ではないのか。

二 同大経済学部では、いまだに学生の入構に学生証提示を義務づけている。これは正常な大学の姿とはいえない。その理由は何か。学生には「外部からの授業妨害の恐れ」(同学部・広報委編集の「みさき」本年四月)と説明されているが、その具体的根拠は何か。まだ廃止できないか。

三 一九八〇年二月十四日、同大経済学部本館前で上級生に殴殺された同大法学部通信教育課程・法律学科一年、新井孝夫君に関し、大学の対応をいかにしたか。

また、加害者に対する大学、警察の対応とそのてん末はどうか。

四 本年四月中旬以降、同大・文理学部キャンパス(世田谷区桜上水)に、黒色ヘルメットに白衣姿、顔をガーゼでかくした異様なグループ(十数名)が時々現われ、昨秋自主学園祭を指導した学生等にテロ行為をしている。一説によれば近く予定される同大総長選挙をめぐる派閥抗争の一環として、文理学部を攪乱する意図であやつられている集団ともいわれる。いずれにせよ、民主的・平和的であるべき学園にあるまじき実態である。責任の所在を明らかにし、善処すべきであると考えるがどうか。

右質問する。

衆議院の原文・経過

政府答弁書

一について

1及び2 日本大学が同大学中国拳法錬心館部員及び新入生の関係者から事情聴取した結果によると、希望する見学者に対して実際に練習に参加してもらつたものであり、その過程において威圧や強要はなかつたと聞いている。

3 準備体操の内容は、跳躍、屈伸、伸脚等であり、約五分ないし十分間にわたつて行われ、指導者は上級生の部員であつたと聞いている。

4 中国拳法錬心館部員は防具を付け、立つた姿勢をとり、それに対して新入生はそれぞれ籠手を付け、各一分間ぐらい部員を攻撃し、この間部員は両手を斜めに下げてこれを受けるのみであつたと聞いている。

5 救急車は青木君を日本大学駿河台病院緊急室に運び、当日、緊急室の担当であつた内科及び麻酔科の医師が診療に当たつたと聞いている。

6 日本大学としては、青木君の死因究明のために、昭和五十二年四月二十二日に同大学駿河台病院の担当医師から診療経過等につき説明を求めたほか、同月二十三日に同君の遺族とともに行政解剖の結果についての所見を聞く等できる限りの調査を行つたと聞いている。

7 青木君の担当医師に面会を求めた事実があつたかどうかは不明であり、また、大学本部学生課が許可を求められた事実はないと聞いている。

8 日本大学としては、本件事故の経緯から見て大学にその責任はないと判断したが、学内で発生した事故でもあることなどを考慮して、できる限りの配慮を行つたと聞いている。

9 日本大学としては、サークル活動は学生が自己の責任において自主的に行うものではあるが、その教育的意義にかんがみ、サークルに顧問を置くことが望ましいと考えていると聞いている。

また、同大学の各学部においては、届出を形式とする許可制度は存在しないと聞いている。

なお、サークル部員募集に関し新入生の自由意思を尊重し、強制的な募集は絶対に行わないように毎年厳重な注意をしており、また、中国拳法錬心館においても監督が各学部の責任者に対し同様な注意を行つたと聞いている。

二について

日本大学経済学部においては、部外者による教育・研究活動の阻害が過去に起こつたので、その再発を防止し自由な教育・研究活動を保障するため、学生の入構に際し身分証明書の提示を求める措置をとつていると聞いている。

三について

日本大学では、新井君の葬儀に際し総長代理を始め多数の関係者が参列し、弔意を表するとともに弔慰金等を贈つたと聞いている。

また、加害者の同大学経済学部学生に対しては、昭和五十五年二月十四日付けで退学処分にしたと聞いている。

なお、警察は加害者の学生を同年二月十四日に逮捕、同月十六日に東京地方検察庁に送致した。東京地方検察庁は、同年三月六日に東京地方裁判所に起訴、現在、公判中である。

四について

本年四月二十四日正午頃、黒色ヘルメットに白衣姿及び手拭等で顔面を隠した集団が日本大学文理学部構内に入り、一部学生との間で多少の小競り合いがあつたが、約二十分後に学外に退去、その後、同集団が同学部構内に立ち入つた事実はないと聞いている。

大学としては、静穏な学内秩序の維持について努力していると聞いている。

右答弁する。

衆議院の原文

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