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最高裁判所裁判官に対する国民審査に関する第三回質問主意書
衆議院 第171回 第185号
質問本文
「前回答弁書」(内閣衆質一七一第一三七号)を踏まえ、再度質問する。
一 最高裁判所長官、判事の最高裁判所裁判官(以下、「最高裁裁判官」という。)に対し衆議院議員総選挙の際に行われる国民審査(以下、「国民審査」という。)について、「前回答弁書」では「国民審査は、内閣の意思に基づき、既に天皇又は内閣によって任命された最高裁判所裁判官を罷免すべきか否かを国民が決定する制度であるから、最高裁判所裁判官がその職責にふさわしい者であるか否かについて国民が判断するに当たっては、都道府県の選挙管理委員会が発行する審査公報による基本的な情報のほか、国民が普段から目にする最高裁判所の裁判官や裁判に関する日頃の報道等も併せて判断材料とされるものと考えている。」との答弁がなされている。しかし、「国民が普段から目にする最高裁判所の裁判官や裁判に関する日頃の報道等」は決して多いものとは言えず、例えその様な報道等があったとしても、それが「最高裁裁判官」を罷免すべきか否かを決定しうる情報とは到底なり得ないと考えるが、総務省の見解如何。
二 「前回答弁書」では「従来より、衆議院議員総選挙と併せ、その啓発を行ってきたところであり、国民にも広く認識されているものと考えている。」との答弁がなされている。確かに「国民審査」という制度そのものは広く国民に知られていると思料するが、当方が問うているのは「国民審査」が実質的な効果を有しているかということである。「国民審査」が、真に我が国の司法の最高機関を構成する「最高裁裁判官」の適性を国民が判断する機会となり得ているか。現時点で、国民は「国民審査」について、用紙に氏名が書き込まれている「最高裁裁判官」に×をつけるか、そのままにしておくという、良くわからないが衆議院議員総選挙と同時期に行われるものという認識しか有していないのではないか。国民にとって、現行の「国民審査」は形骸化したものでしかないのではないか。総務省の見解如何。
三 「国民審査」を真に国民が「最高裁裁判官」の適性を判断する機会とするためにも、更には、我が国の司法の最高機関である最高裁判所に対する国民の理解を深め、その地位をより高めるためにも、経歴放送等の方法により、より国民に「最高裁裁判官」についての情報を提供することを、総務省として検討すべきではないのか。
右質問する。
政府答弁書
一及び三について
最高裁判所裁判官国民審査(以下「国民審査」という。)については、都道府県の選挙管理委員会が発行する審査公報による基本的な情報のほか、国民が普段から目にする最高裁判所の裁判官や裁判に関する日頃の報道等も併せて判断材料とされることにより、最高裁判所裁判官がその職責にふさわしい者であるか否かについて適切に判断されているものと考えている。
このようなことから、現時点において、総務省として、御指摘の「経歴放送等の方法により、より国民に「最高裁裁判官」についての情報を提供すること」について具体的な検討を行うことは考えていない。
二について
国民審査については、従来より、その意義、目的等についても啓発を行ってきたところであり、その趣旨は国民にも広く認識されているものと考えており、「現行の「国民審査」は形骸化したものでしかないのではないか」との御指摘は当たらないものと考えている。
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件名と質問本文の冒頭の意味が近いものを、前もって計算しておいた表から近い順に8件並べました(multilingual-e5-large)。同じ言葉を使っていなくても出ます。論点が少しずれていることもあります。