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国鉄高架線下の賃借に関する質問主意書

衆議院 第47回 第2号

提出者
衆議院
提出日
1964年12月10日
内閣転送 1964年12月12日
答弁書受領日
1964年12月18日
提出から8日
答弁の項目数
0
質問 353字/答弁 858字

質問本文

衆議院議長 ※(注)田 中 殿

国鉄高架線下の賃借に関する質問主意書

国鉄高架線下の賃借については、戦後の混乱期の影響もあり、とかく明朗を欠くとのうわさもあり、このことは、本院建設委員会においても取り上げられてきた。その後、当局の努力により、漸次、問題は解決されつつあることは何よりであるが、この際左記について、できる限り詳細に御回答を煩わしたい。

記

東京都千代田区神田仲町一丁目五番地国鉄線御茶ノ水秋葉原間神田旅籠町第十三号高架下二〇坪三合六勺の現在の状況(いかなる者の使用を承認しているか、その経緯および理由)並びに右土地について戦前より使用を承認され(賃借)ていた丸二青果荷受配給株式会社(東京都千代田区神田仲町一丁目五番地、現代表取締役松井正輔)の使用を承認しなかつた理由はどうか。

右質問する。

衆議院の原文・経過

政府答弁書

一、(1) 当該高架下は、現在日米産業株式会社代表取締役 石井明と東京都北区中十条二の五 渡辺吉男の共同使用となつている。

(2) 戦前の使用経過については、国鉄の書類焼失のため詳らかではないが、丸二青果荷受配給株式会社取締役社長 松井繁夫及び日産機械工業株式会社(後の日米産業株式会社)取締役社長 石井明の両名に使用承認していた模様であるが、昭和二十年八月戦災により建物が焼失したので、この使用承認を取消した。

(3) 昭和二十二年、国鉄は、鉄道弘済会に高架下全部を使用承認し、鉄道弘済会はその高架下一部を長尾組に貸し付けたが、長尾組は鉄道弘済会及び国鉄に無断で第一興業株式会社に当該高架下の建物を譲渡したので、昭和二十九年鉄道弘済会は第一興業を相手として、建物収去、土地明渡しの訴を東京地裁に提訴した。

(4) 昭和三十一年、調停の結果、「第一興業は昭和三十一年十一月三十日までに高架下を明渡し、鉄道弘済会は直ちに国鉄に引き渡す。国鉄は、利害関係人日米産業株式会社から高架下使用承認願いがあつたときは、承認を考慮すべき旨」の条項に基づき、昭和三十一年日米産業株式会社に対し使用承認した。その後、昭和三十三年渡辺吉男との共同名義に変更願いがあつたので、これを承認し現在に至つている。

以上の経緯であるが、その後第一興業株式会社と日米産業株式会社及び渡辺吉男の間で家屋明渡しについて、東京地裁において訴訟中であつたが、本年九月「第一興業株式会社に名義変更することなど」を内容とする和解が成立した。

二、戦災により建物が焼失したため、国鉄は他の使用承認者と同様に昭和二十年八月七日に使用承認を取り消したもので、これにより使用関係は消滅したものと解している。

その後、昭和三十七年丸二青果荷受配給株式会社 松井正輔より正式に使用願いが提出されたが、当時、当該高架下は昭和三十一年十一月の東京地裁の調停条項に基づき、日米産業株式会社及び渡辺吉男に使用承認中であつたので、貸付できない旨回答し現在に至つている。

右答弁する。

衆議院の原文

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